彼の趣味

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しばらくして車は目的地に停車したけれど、呆気にとられた私はシートから身体を起こすことも出来ずに辺りを見回した。 「ここ?」 「うん。さあ、車を下りて行ってみよう」 さっさと外に出た彼を目で追ってから、私は仕方なくシートベルトを外した。 そして、ドアを開けて嘆息する。砂浜に来るとわかっていたら、おしゃれなピンヒールなんて履いて来なかったのに。 車の横で大きく伸びをしている国分さんを少し恨めしく思う。 彼が連れて来たのは小さな漁港の駐車場だった。 私にとってデートと言えば映画館か水族館かショッピングモールと決まっていた。そんなインドア派の私が、こんなアウトドア派の彼と上手くいくはずがない。 急に諦めの気持ちが頭をもたげた。 外に出た途端、目に焼けるような熱さを感じてサングラスが欲しくなる。 UVクリームは塗ってきたけれど、きっとそんなものでは防ぎきれないと確信させる日差しが容赦なく降り注ぐ。日傘か帽子を持ってくれば良かった。 今日、これからの数時間で私の肌は深刻なダメージを受けるだろう。そして、あと20年もしたら悔やむのだ。あの日、彼とデートさえしなければこのシミや皺はなかったのにと。 じりじりと表面温度を上げるワンボックスカーの横から一歩も踏み出せない私を見て、彼は何かを思いついたらしい。 後部座席のスライドドアを開けると、迷彩柄の薄汚れたビーチサンダルを取り出してきた。 「そんなハイヒールじゃ波打ち際まで行けないから、これに履き替えて」 「でも、ストッキング履いてるから、鼻緒が引っかかる」 「あー、そうか。あっ、確かクロックスがあったはず!」 今度は後ろのドアを開けてゴソゴソ探し始めるから、私もゆっくり地面を踏みしめながら後ろに回ってみた。 大きなクーラーボックスに釣り竿数本。長靴に折り畳み式チェアー。透明な道具箱には色鮮やかなウキやラインや仕掛けが入っているのが見える。 その見慣れた光景に眩暈がした。 あれほど疎ましく思っていた父親と同じ趣味だなんて! 私が電話で父への不満を口にしたとき、彼は自分も釣りが好きだなんて一言も言わなかったのに。 国分さんが貸してくれたクロックスはブカブカで歩きづらい。それでも彼にお礼を言うと、ホッとしたような顔で微笑まれた。 どうして彼は今日、私をここに連れてきたのだろうか。釣り道具は積んであったものの、釣りをしに来たわけではないらしい。 ゆっくりと海に向かって歩き出した彼の後ろをついて歩く。 クロックスが柔らかい砂地を崩して沈み込む。私の恋心も脆く崩れてしまいそうな気がする。 バランスを崩して転びそうになったら、彼が慌てて私の腕を掴んだ。 そこからウッドデッキまで、彼はずっと私の二の腕を掴んだまま歩いてくれた。
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