雨が降ったらキスをしよう

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 古めかしいと言うべきか地味と言うべきか、形容しがたい深緑色をした大きな傘を先輩は傘入れから持ってきて、私を入れてくれた。私が電車通学だということを伝えたら、家とは反対方向だけど送って行くよと言って、2人で歩くことになった。  誰かに見られたらどうしよう。  下らない疑念が頭を過る。こんなイケメンと並んで歩いてその上相合傘までしたとなれば、3年の先輩に何を言われるかわからない。ぶるっと身震いして、私は傘の中で触れ合っていた肩を意識的に離した。 「なに、濡れるよ」 困ったように笑いながら、先輩は私の肩を引き寄せて傘の中にもう一度入れた。こいつ。  私の目線より数センチ高い肩をバレないようにそっと盗み見ると、先輩の左肩は傘に全く入っておらず、雨でずぶ濡れになっていた。 「先輩こそ濡れますよ」 「俺はいいの、女の子なんだから身体冷やさない方がいいよ」 「女の子って…!」 噛み付くように言い返そうとするが、先輩の目は至って真剣。言葉は萎んで、私は何も言えないまま甘んじて傘を受け入れることにした。 「あの、ありがとうございました。わざわざ送ってもらっちゃって」 駅まではそんなに距離がないので、ものの数分で到着する。土砂降りでも、それだけは幸いだった。先輩は律儀だなあ、と笑って、 「また会えたら」 とまるで次がないかのような言葉を残して、ひらひらと手を振りながら帰って行った。駅の構内に入る前にふと振り返ると、先輩の姿は人並みに飲まれて既に見えなくなっていた。  連絡先、聞いておけばよかったかも。  少しだけ残念な気持ちを抱えていることに自分でも驚いた。まあもう会話することもないだろう、と残念な気持ちを振り払うようにして、私はゆるゆるとかぶりを振った。  次の日、案の定先輩は何時になっても、昇降口には現れなかった。待つなんて馬鹿らしい。わかってはいても、微かな期待をしてしまったことは否めなかった。  梅雨もまだ2日目だと言うのに、その日はからりと晴れて夏のような暑さだった。  謎の先輩と出会ってから3日間、雨が降らなかった。ついでに先輩に会うこともなかった。フロアが違うのだから当たり前といえば当たり前なのだが、それにしても残念な気持ちになってしまう。  今日は朝から雨が降っている。いっこうに止む気配を見せない窓の外を眺めながら、私はふと先輩のことを思い出した。雨が降っているから、期待してしまったのかもしれない。  ばかだなあ、私も。  自分の単純さにつくづく嫌気がさした。  放課後、駅前のクレープが雨だと安くなるから行こう、と誘ってくれた友達の誘いを断って、私は意味もなく教室に残り続けた。この間は何時だったっけ、と無意識に考えてしまう。電気も付けずに、窓際の席に座って空を見つめた。 「あれ、なにしてんの」 既視感のあるシチュエーション。まさかと思って顔を上げると、そこにいたのは望んでいた顔。 「…せんぱい」 4日ぶりの先輩は、変わらず優しい顔のまま私の前の席に座った。言葉の続きを待っているようで、首を傾げて私の顔を覗き込んでくる。 「雨、だったから」 辛うじてそう答えると、先輩は少しだけ驚いたように目を見張ったあと、ふ、と笑った。 「俺に会えると思った?」 「…うん」 素直に頷くと、笑みが濃くなる気配がした。そうかそうか、後輩ちゃんは俺に会いたかったのか、と楽しそうに呟く。恥ずかしくなって顔を上げて睨みつけようとした。確かに私は睨もうとした。  どきん。  心臓がそんな音を立てた。人って恋に落ちると本当にこんな音がするんだな、なんて場違いなことを考えてしまう。  そのくらい、簡単に恋に落ちてしまうくらい、この人は優しい顔で私を見ていた。 「素直な子、俺は好きだよ」 落ち着け自分。好きってそういう好きじゃない。後輩として可愛がってくれてるっていう好きだ。自惚れるな。自分に言い聞かせるようにしても、顔に熱が上っていくのがはっきりと分かる。 「…先輩って誰にでもそういうこと言ってそうですね」 ようやく絞り出したのは可愛げなんてかけらもない台詞。こんなことが言いたかったわけじゃないのに。ごめんなさいの一言も言えなくて、私は下を向いてしまった。  気まずい沈黙が流れた。帰ってしまいたい。顔を見れない。  しばらくして、先輩が体を動かした気配がしたのでおずおずと顔を上げると、先輩は苦笑いとも取れるような笑みを浮かべて、鞄に手をかけていた。 「帰ろっか」 送るよ、と先輩は室内なのに何故か持ってきていた傘を私に示してみせた。
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