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期待していた展開だったのに、気分は最悪だ。次に会えたら連絡先を聞こうと意気込んでいた数日前の自分を殴りたい。この間引き寄せてくれた肩を、今日は引き寄せてくれなかった。たまにぶつかっても、遠慮がちに離されてしまう。
こんなときに可愛いことのひとつも言える女の子だったなら、先輩の態度も少しは違ったのかも。詮無いことをぐるぐると考えてしまって、じわりと視界が滲んだ。
「なん、え、なんで泣いてんの」
駅に着いたのに傘から出ようとしない私を不自然に思ったのか、先輩は私の顔を覗き込んで仰天した。
なんで泣いてるかなんて私がいちばん知りたい。まるでドラマかアニメか、現実の世界じゃないみたいに涙が一筋流れた。
刹那。ぐいっと腕を引かれて、私は先輩に抱き寄せられていた。
息が止まった。
瞬きすることも忘れてしまった。
私達以外の世界が止まってしまったみたいだった。
傘が地面に落ちて、2人とも雨に濡れていくのに、先輩はそんなこと気にしていないようだった。ただただ私の頭を撫でながら、ときおり存在を確かめるようにぎゅうっと抱きしめられた。
私が慰められているはずなのに、先輩は何かを恐れるように、何度も何度も、私の身体に力を入れて抱きしめた。
「泣かないで」
「…濡れちゃいますよ、先輩」
「そうだね」
「傘、拾わないんですか」
「もう少しだけ」
こんなときでも落ち着いた声音の先輩は、私の冷え切った心をだんだん融かしていった。
おずおずと持ち上げた腕を、控えめに先輩の背中に回す。雨に濡れたせいか酷く冷たい先輩の背中を、私は負けじと抱きしめ返した。
しばらくして何かを思い出したように私からバッと離れた先輩は、照れくさそうな顔をしながら傘を拾い上げて、「また会えたら」と数日前と同じ台詞を投げかけてきた。
「また会いましょう」
雨に負けないように張り上げた私の声を聞いて、先輩は曖昧に笑った。ああ、まただ。こういう表情をするときの先輩はなにか隠したいことがあるときだ。たった2回話しただけでもわかってしまうくらい、先輩はわかりやすい人間だった。
「それと、さっきはごめんなさい」
また張り上げた声を聞いて、今度ははっきりと笑ってくれた。私に向かって親指を立てると、この間と同じように人混みに紛れてすぐに見えなくなった。
この間と違ったのは、先輩がいなくなってからも、私がしばらく駅の入口から動けなかったことだ。
恥ずかしくてどうしようもなかった。あんな状況だったのに、心臓がうるさくて、それを聞かれてしまうのではないかと思って、どうしようもなく顔が熱かったのが忘れられない。
ああ、私はどうしようもなくこの人が好きだ。
出会って2日目の先輩への恋を自覚した、6月2回目の雨の日だった。
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