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 駅にほど近い雑居ビルの三階に柚希が働いている〝ソメイユ〟がある。 「戻りましたー」と言いながらドアを開けると、かったるそうに煙草をふかしながら「あぁ、お帰り。バラまけたか?」と店長の嶋津(しまづ)が片手をあげた。 「お疲れさまです。いつも通りですよ。配っても、配ってもスルーで……」と、言いながらチラシの入っているカゴをデスクに置き、ダッフルコートをハンガーに掛ける。そして、さりげなく周りを見回した。  ──クソッ。みんな、仕事中か……。  嶋津に気づかれないように小さな息を吐く。 「でも、これを見て来店する人も一定数いるわけだからなぁー」 「ネットでそれなりに反響があるし、ビラ配りをしなくてもいいんじゃないですか?」  座ってホットタオルを巻き出した柚希は、嶋津と二人きりという居心地の悪さを誤魔化すように「あ、そういえば」と、今日出会った男の話を始めた。 「ビラ配り中に、ここの店が必要そうな疲れているおじさんを見かけたんですよ」    柚希は話しながら、さっきの光景を思い出していた。  40代くらいの背の高い男だった。チタンの眼鏡フレームに、シワ1つないスーツ。少し神経質で真面目そうな風貌の人が、フラフラと歩いていた。  なにより、目の下のクマが酷かった。 ここに通うお客さんも、たまに寝れていないなと感じることはあっても、あれ程の人はいない。  添い寝は、人の温もりを感じて安心感や幸福感も得られる。そして、余計なことを考えずに済むという効果があると言われている。  さっき見かけた男も理由はわからないが明らかに眠れていない様子だった。こういう人こそ、なにもかも忘れて添い寝カフェを使えばいいのにと思う。だから、出来ればあの人をここへ連れて帰りたかった──けれど。 「なんだお前、連れてこなかったのか?」  呑気にあの男のことを考えていた柚希は、嶋津の問いかけに、ハッとして顔を上げる。 「キャッチは、条例違反だし……。それに、おじさんを支える女って構図おかしくないですか?」 「そんなの、バレなきゃいいだろーが……ったく、使えねーな。もう少し、頭使えよ。お前は客も少ねーし、ちんたらやってんなよ」  柚希は柚希なりに一生懸命考えて、心を込めて接客をしている。今までの自分が担当したお客さんには必ず「ユズちゃんの膝まくらって最上級の寝具だよね。確実に寝れる」と評判だった。  だから、この職業は天職だと思っている。  ただ、一見さんには人気がないだけで──。 「私にも、リピート客はいますし」  すると嶋津は、にやけながらじりじりと柚希との距離を詰めてきた。 「そんな少しのリピートじゃダメだつーの。もっと新規呼べよ、なぁ。ユズちゃん」  耳に煙草の煙を吹きかけられた。ビクッと震え体が硬直する。どうにか頭を上げ「……やめてください」と、震える声で言った。 「やっぱり、そこら辺の女より可愛い顔しているわ。客に人気なくても俺は好きだぜ、お前の顔」と、右手で柚希の太腿に触れてきた。  ゴツゴツした硬い指先で、いやらしく撫でまわされた瞬間、背筋に冷たいものが走る。  ──だから二人きりは、極力避けていたのに。  待機している女の子がいる間は、嶋津は柚希に触れることは無かったのだが、二人きりになると隙を見て触れてくる。柚希は、女と偽って仕事をさせてもらっているという負い目から、気持ち悪いのに手を()退()けることも、大声を出すことも出来ずに我慢をしていた。
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