2-1

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  相変わらず柚希は、指名客が来ない夕方の時間帯はビラ配りをさせられていた。 『月曜から癒しを求めに来る人なんていないだろ』と心の中で毒づきながら道行く人にチラシを配っていると、視線の先の人物に柚希は目を丸くした。  ──あれ、あの人って確か……。    見間違えるはずはない。あの時の危なっかしかった男だ。  興味深げにじっと見ていると、眼鏡の奥には明らかに先週より酷いクマが出来ている。柚希は、吸い寄せられるように男に近づいてコートを引っ張った。すると、男はよろけながら柚希の顔を見て驚いていた。  ──あ。力強く引っ張りすぎたか?  掴んでしまった以上、後戻りは出来ない。  急いで心配そうな顔を作り「ねぇ、おじさん寝不足なの?」と声を掛けた。  怪訝そうな顔をしながら「あぁ」という返事と同時に膝から崩れ落ちて、柚希の肩に男の顎が乗る。 「ちょ、ちょっと!」  急な出来事にビックリした柚希は、慌てて肩に乗っている男を見た。 「……なんかお前、すごくいい匂いするな」  右手で髪の毛を触られ、そのまま匂いを嗅がれた柚希は、顔を真っ赤にして俯く。  ──えっと。どういう状況だ? これ。  困惑しながらも至近距離で見た男は、幾分やつれてはいるものの整っている容貌をしていた。同じ男なのに妙な色気がある。父親よりは少し年齢が下だろうか。目尻に浮かぶ深い皺を少しの間見つめた後、先週思ったことを口にしてみた。 「先週もおじさんのことをここで見たんだけどさ、フラフラしてて危なっかしくて見てらんない。ねぇ、うちで仮眠していかない?」 「う……ち?」  少し強引過ぎただろうか。怪しいキャッチと間違えているのかもしれない。いや、怪しいかと、自分の今の恰好を見て嘆息する。 「違う違う。家じゃなくて、添い寝カフェでバイトしてんの。場所の提供だけなら、30分4,000円。すぐそこだし、おじさんみたいな寝不足な人にちょうどいいと思うけど?」  男は、まるで汚物でも見るような顔で柚希の顔を凝視していた。 〝添い寝カフェ〟と聞いたら、確かに風俗店と勘違いしてしまうだろう。そんなことないのにと、柚希は苦笑する。 「おにいさん、考えてること丸わかり。顔に出ちゃってる。心配することひとつもないってば。うちはね、そういう性的サービスないの。本当に、純粋に寝床の提供をするだけ。それにね、眠れない人を寝かせるのが私上手いんだよ」  渋顔を作った男は、頭からつま先まで値踏みするような視線を投げかけてくる。  まだ疑っているのかと深い溜息を1つ零した後「余計なお世話だったよね」と沈んだ声で言うと、男が躊躇いがちに言葉を発した。 「いや、俺は寝たくても寝れないんだよ。だから意味がない」  ──どういうこと?   柚希は、男の顔を見つめて首を傾げる。すると「だから、寝床なんかいらないんだ」と寂しそうに笑った。
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