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思惑と幼馴染
◇
我ながら、なんともまあ、らしくないことをしてしまった。
今日届いたばかりの同人誌を捲るペースが普段よりもずっと捗らないくらいには、自分らしくないことをしたということをそれなりに実感していた。
陽が落ちた薄暗い教室。全ての授業が終われば、途端に生徒は急ぎ足に教室を後にして。そのほとんどに共通するだろう向かい先はきっと
「速報。神宮聖が誇っていた、カリスマ性に溢れていたはずの生徒会長が、今では学園中の生徒から憎まれることに。自身が持つ影響力がどれほどのものかなど認識度の低さ故か、本日の昼休みの食堂にて、一般生徒に縋りながら号泣。
一大ポストを任せられながら、むしろ役職に汚名を着せるようなその行為に、ますます生徒内での反感が高まる…ねえ。
だってよー。お前はどう思う?」
このクラスになって幾らか経つのに、未だに名前すら覚えていない前の人間の席を躊躇なく使い、椅子ごとこっちに向けるナナの、今まさに手にしているものこそがきっと大方の生徒たちの目当てそのものだろう。
つい先程発行されたばかりの新聞部の号外。
全体の記事を流し読みしたナナが頬杖をつきながら印刷紙から視線をあげる。その表情は傍からでもわかるほど苛立っていた。
眉根を寄せながら手渡された号外にちらりと視線を遣って、手をつけたばかりの同人誌を静かに机の傍らに置いた。
「…情報まわんの早いなあ、って言いたいところだけど。そこはさすが王道学園だね。二次で読んでた展開が、まさか実際で起こるなんてさ、笑えるよね」
「どこが笑ってんだよ!いつもと同じ、無表情ヅラじゃねえか!」
「あははー。ナイスツッコミ。……でもずいぶんとナナは気に入らないみたいだね」
「…そりゃあ。なんせ実際の内面知ろうともしないで、誰が広めたかもわかんない噂と評判だけを掻い摘んで好き勝手書いてやがんだぞ、この記事。…気に食わねえに決まってる」
「…男前平凡かぁ、うん、いいね」
「…幸乃、おまえはいい加減に…はあ。いや、おまえは昔からそういう奴だったな。…だからこそ、他人に興味を示さずに何よりも面倒事を嫌うおまえが会長を救おうとしたことには驚いた。正直、予想はしてたけど、それ以上に衝撃の方が大きかった」
「……」
「幸乃、おまえは今、なにを考えてんの?」
僅かに開いていた窓の隙間から誘われるように一陣の風が入り込む。そのひとしきりの風はナナの髪を揺らして、俺の手の号外に皺を刻ませた。
落ちた、会長。生徒が目指すは役職権の全剥奪
何を考えているか…ねえ。
ナナが言ったその言葉には、幾重にも意味が伴っていて、けどその全てを改まって聞いてこないところがナナらしい。純粋に、楽。
これは常々思うことだけど、ナナはパラメータこそ平凡だけど、実際は人並み以上に聡明なんだよね。
人なら誰しもが引いているであろう、他人と自分のなかでの境界線。そういう、相手との一定の距離を図るのが、ナナは上手い。
自分のパーソナルスペースに他人が踏み込むのを嫌う俺が、唯一、隣にナナをおけるのもそれが大きい。
「…ほんと、なに考えてんだろうねー」
「…ああ、ほんとうにな。頭がいいやつの考えてることは、凡人にはちっとも理解できねーよ」
「なにソレ、謙遜?」
「なんで。っつかいつも平凡平凡言ってんのはおまえだろ」
「まあね。でも実際俺以外も、こっち界隈の人は皆そう言うと思うよ?需要高いんだよねー、ナナみたいな人材はさ」
「え、なにコッチカイワイってなにジュヨウって、あ、いや、説明はいらねえけどなんとなくわかっちまったのがむかつくな、ほんとなんなのおまえ」
さきほどまでの空気はどこへやら。張り詰めたような空気とは一変して、いまの掛け合いでずいぶんと緊張の糸が解けたみたいで。いまのいままで見るからに考え事に気をとられていますみたいな顔をしていたナナにも余裕が戻ったらしい。うん、そうだよな。そう呟きながらナナは何度かか頷いた後、小さく笑い声を上げた。
そして。逆の手で頬杖をつきなおして、今度は真っ直ぐに視線を捉えてくる。前屈みに椅子に跨っているからか、いつもより少しだけ、絡んだ視線は低かった。
「なあ、幸乃。俺たち何年ダチやってんだろうな。趣味も性格も、今となってはほとんどわかって、むしろしらないことの方が少ないのに。でも、何年経っても、いまでも、」
おまえがなに考えてんのかわかんなくなる時、あるんだよ
一瞬、視界の先でナナの瞳が揺らぐのが見えた。
なんとなく、視線を合わせるのが気まづくなる。手元に掴みっぱなしだった号外に目線を落とす辺り、不自然だし、わざとらしかったかな、なんて。
そんな一連の動作にナナは一瞬だけ顔を歪めて、けどすぐに習うように俺の手元に視線を落とした。
ーーー咲谷結来現生徒会長をリコールすべく、ついに生徒内で署名活動も始動する
たすけて、みやせ
そう弱々しく手を伸ばされたって、いくらでも拒絶はできたはずだった。事実、はじめは嫌悪感しかなかったし。アンチだわ俺に接触図ってくるわで、脅すくらいには煩わしかったわけで。
それでも、その手をとった理由は、多分
「…ナナ、俺はね」
ゆっくり、ゆっくりと視線があがる。いつのまにか外は真っ暗になっていて、校舎内が静まり返っていることからみるに、そろそろ警備員が見回りにくる時間帯かな。
影が差してだいぶ見えにくくなった机の傍らに置かれたもの。同性同士が至福を噛み締めるように笑みを浮かべていて。気づかれないように目を細めた。
ーーゆき、ゆき…
数分ぶりに視線が絡む。
(……なんて顔してんの)
泣きそうな、そんかかお。
俺の周りはみんなそんな表情を浮かべている気がする。
廊下の向こうから足音が近づいてくる。見回りか、そろそろ時間切れみたいだね
「ゆきの…おまえ、まだ…」
「会長の笑った顔は、嫌いじゃなかった」
むしろ可愛いとすら思った。会うたびにいつも泣きそうな顔をしている会長が、一度だけ笑みを溢したとき。泣きそうに歪められた顔が、ふとしたときに緩んだその顔に。つい、また見たいな、なんてそれこそらしくないことを思ってしまったくらいには。
嫌いだったはずの会長の手を拒絶しなかったくらいには、多分、笑った顔が嫌いじゃないんだろうな。
俺の言葉にナナは目を見開くも、すぐにいつもの顔に戻り、一言だけそっか、と返した。
(さて、と)
本を鞄に閉まって立ち上がる。椅子を引く音がやけに煩く反響した。
「は、ちょ…っ、どこ行くんだよ!」
「約束しちゃったからね、会長と。果たしにいってくるよ」
なにか言いたげなナナを後目に踵を返す。電灯のついた廊下に足を踏み出した。
ーーゆき、すきだよ。ずっと一緒に…
(…煩わしいんだよ)
ふと脳裏に過った声と表情に、小さく舌打ちを打った
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