手作りクッキーとお願い

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手作りクッキーとお願い

「そそ、そういえば」 「?」 やべえ噛んだ恥ずかしい。 「さっきのクッキーって手作りか?」  勉強に戻った俺たちだが、その間にはすっかり気まずい空気が流れてしまっていて。なんとかこの空気を払拭しよと咄嗟に思いついたのが、さっき三谷瀬に突っ込まれたクッキーについてだった。 急な俺の問いかけに一瞬怪訝そうに眉を顰めるも、「さっきお前が突っ込んできただろ」とむう、と唇を尖らして言えば合点がいったのか、ああ、と思い当たった声が上がった。 「あれね。うん、そうだよ。よく手作りってわかったね」 「市販のと比べてバターの風味がそんなに強くなかったからな。うまかったことに変わりはねえけど。お前が焼いたのか?」 「まさか。親衛隊のひとりがくれたんだ。校内の調理室で焼いたらしくて、よかったらって、俺とナナにね」 「……親衛隊」 「………」 気まずい空気は何処へやら。交わされるいつも通りの会話にほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、三谷瀬の口から発せられた言葉にドキリと心臓が嫌な音を立てた。 “親衛隊”---。 読むのが恐くて机の上で積まれたままになっている、俺の親衛隊の全隊員分の離隊届 謝罪と懺悔を繰り返し、泣きながら去っていった副隊長 そしてーー 『結ちゃん』 今でも夢に見る、凌汰のあの笑顔。 果たされなかった最後のあいつとの約束は、今も俺を自責の念に駆り立て続けていた。 「……親衛隊」 三谷瀬の声にはっと我に返る。いつの間にか意識が飛んでいたみたいだ。 気遣わしげな視線を向けてくる三谷瀬に、「な、なんだ?」と慌てて返事をした。 「親衛隊が解散したって本当?」 「っ、!な、なんでしって…」 ーっあ!?ちが、まちがえた…!思わずこぼれてしまった言葉にすぐに口を押さえたものの、それを見逃してくれるほど三谷瀬は優しくなくて。俺の挙動から肯定と捉えたらしく、はぁ、とため息を吐く。 「…なんでしってんだよ」 ここまで来てしまえばいまさら誤魔化しなんて利くわけもなく。諦めて、恨めし気な視線を送る。む、誰だ八つ当たりとか言ったやつ。…まぁその通りだが。 「俺の親衛隊員から聞いた。…ああ、安心して。一般生徒の間ではまだ出回ってない情報だから。俺が聞いたのも、会長の親衛隊のひとりと同室の人からだし」 「そうか…それならよかった」 また親衛隊の人。ていうかいつからお前には親衛隊が結成されてたんだ、俺も隊員になりたいんだが。 なんて冗談、いや半分は本気だが、は今は置いといて。一般生徒にはまだ知られていないことに、内心ひどくほっとした。 というのも、俺の親衛隊が解散したという事実が全校生徒の間に広まってしまえば、この学園において暗黙の了解となっている、”特定の人物の親衛隊に属している生徒には手を出してはならない”という規則が適用されなくなってしまうからだ。 ちなみにここでいう特定の人物ってのは、生徒会役員や風紀委員などの役職持ちから、各学年での有名人、あるいは生徒に人気がある教師陣なんかを指すわけだが、如何せん、俺の親衛隊は端麗な者ばかりが集ったこの学園でもトップクラスに容姿の優れた者たちばかりだった。 隊長の凌汰から始まり、副隊長、幹部のやつらと、俺の親衛隊に入っていなかったら間違いなくそれぞれに親衛隊が結成されていたであろうほどで。 だからこそ、危険だった。今まではこの学園の頂点に君臨する生徒会長の親衛隊という肩書きがあったからこそ、他の生徒たちは迂闊に手を出せなかった。それが、今の荒廃している学園の中、その肩書を失ったと知られれば……  おそらく三谷瀬はそれらの事情を知っているのだろう。親衛隊持ちなら知らないはずのないルールだ。だからこそ、一般生徒の間では広まっていないことをわざわざ付け加えてまで俺を安心させるような物言いをしてくれたのだ。 三谷瀬の気持はすごく嬉しい、嬉しいけど、余計な心配かけたくなくて、親衛隊が解散したことは公表されるまでは黙っているつもりだったのに。 こうも呆気なくバレてしまうなんて……俺のあほ。 「もちろん教えてくれた子にも釘は差してるよ。正式な公表があるまでは、一般生徒には流さないようにってね」 「すまない、助かる…。ああ本当に何から何まで申し訳ない…お前にはいつも迷惑かけてばかりだ、つくづく自分が情けなくなるよ」 「それはべつにいいけど…。止めなかったりしなかったの?」 「そんなことしないさ。…今の俺はあいつらが慕ってくれてた天下の生徒会長様でもなんでもない、ただの落ちぶれた学園中の嫌われもんだ。そんな俺にあいつらを止めるなんてこと、できるわけねえよ」 「………」 「それに……俺が凌汰を危険な目に合わせたことは事実だ。そのことで俺を憎んでいるやつも大勢いる。……あいつは隊員に慕われてたからな」 脳裏に凌汰の顔が浮かぶ。 唯一、誰かの親衛隊に手は出せないという暗黙の了解を無視することができる、役職持ちである博哉が凌汰にしたことは決して許されることではない。今でもあいつの顔を見る度に、同時に凌汰の笑顔が頭に浮かんできて、その度に何度、怒りで目の前が真っ赤に染まったことか。 衝動のままぶん殴ってやりたい気持ちを必死に押し殺したことも一度や二度ではない。 憎んでいる俺への当てつけのために、自らの手は汚すことなく己を慕っている親衛隊を利用しての悪行は心底下種だと思うし、おそらく俺は一生かかってもあいつを許すことができないだろう。絶対に許さねえ、だけど。 それを防げなかった、凌汰を守れなかった俺も決して許されはしない存在だから。 ごめん、ごめんな凌汰、守れなくてごめん。 いくら謝罪したってもう遅い。時間は巻き戻ることなく、凌汰は帰ってこない。それは変わらない。変わらない、なら、 それなら俺は、もう誰も傷つけさせない。絶対に全員守ってみせる。 もう俺の隊員じゃないことはわかってる、俺のことを憎んでいるのも知っている。だけど最後の罪滅ぼしくらいさせてくれ。もう誰にもあんな気持ち味わってほしくねえんだ。 「それでいいの」 「よくはねえよ。けど仕方のないことだってある。今回がたまたまそうだっただけだ。」 「そう、」 「それに最近は、なんでか他の生徒会のやつらが絡んでくることもなくなってさ。少し前までは、顔を合わせれば罵倒中傷当たり前、なんなら悪態吐くためだけにわざわざ生徒会室にまで来ることもあったっていうのによ。それが今ではぱたりとなくなったんだから逆に不気味なもんさ」 「……へえ、そうなんだ」 「ああ。だがまぁ、そうだな。おかげで少しは気が楽になったのも事実か」 「…………」 それにしても。自分で言ってて改めて思ったが、本当になんで急にあいつら大人しくなったんだ? 目に見えて遭遇する回数は減ったし、校内で姿を見ることもあまりなくなった。たまに偶然顔を合わせても、飛んでくるであろう悪口に備えて条件反射で身構える俺をスルーして、とっととどこかへ去ってしまうし。いや悪態つかれなくて俺としては助かっているのだが。でも改めて考えると、あいつらがぱたりと姿を見せなくなったのって、たしかーーー 「約束は守るよ」 「?今なにか言ったか?悪いがもう一度ーー」 言ってくれ、と続けようとした俺の言葉を遮って、三谷瀬が「ううん。なにも」と首を振った。そして机の上の教科書やら筆記用具やらを片付けると静かに席を立ち、「それよりもホームルームが始まるからもう行くね」と声をかけてきた。 「そうか、」 あ、失敗。どうやら顔に出てしまったみたいだ。 もういくの、さびしい、まだみやせといっしょにいたいのに。 そんな抑えきれない俺の本音たちが。 なんでわかるかって?だって、ほらーー 「~~~~っ」 三谷瀬が、すごく優しい顔で俺を見てくるから なんだその顔ずるい…っ、 三谷瀬のとびっきり美しい顔で、そんなとびっきり優しい表情を真っ向から向けられてしまえば、そんなのもう、勝てるわけがない、 どうしよう、みやせ、すき、すきだ、だいすき トクン、トクン、 うるさい心臓の音を誤魔化すように、慌てて話題を変える。 「け、結局あまり教えられなくて悪かった…勉強」 また噛んだ。今日の俺は情けなくも噛んでばかりだ。 「あぁ。べつにいいよ。適当に言っただけだし」 「やっぱ適当だったんだな…」 「だってあのとき何かしら言わなかったら、会長納得しなかったでしょ」 「そんなこと……」 なくはないな、ていうか絶対にそうだった、うん。 三谷瀬の言う通りだ。あのときの俺はなんであろうと、絶対に三谷瀬の口から頼まれごとを聞くまでは納得しなかったことだろう。 まさか先輩風を吹かせるつもりが、逆に気を使われてしまっていたなんて……これじゃあどちらが年上かわかったもんじゃない。 はあ……と深く項垂れていると、頭上から「じゃあ、」と声が降ってくる。 ぱっと顔を上げると、「お願いがあるんだけど」そう言いながら三谷瀬は目を逸らした。沈んでいた気持ちが一気に浮上する。期待で胸が高鳴った。 「っなんでも言ってくれ、!」 食い気味にそう返したが、三谷瀬は言うのを躊躇しているようで、珍しく言い淀んでいる様子だった。視線だけで「なに?なんだ?」と促せばようやく決心したのか、ゆっくりとした口調で言葉を紡ぐ。 「クッキーが、食べたいかも」 「クッキー?」 「あんたの焼いたのが食べたい。それがお願い。…だめ?」 「っだめじゃない!10枚でも、20枚でも、いくらでも焼いてやる!」 いくらでも、なんだって叶えてやるさ。三谷瀬の願いならなんだって。 半ば叫ぶようなそれに、三谷瀬は一瞬目を見開いて、だけどすぐにいつもの無表情に戻る。だけど俺は気づいてしまった。いつも通りに見える三谷瀬の表情の中で、いつも通りではない部分。安心したように、微かに上がった口角。 それは小さな、よく見ないと見過ごしてしまいそうなほどの、ほんの些細な変化だけど。俺の心臓を捕らえて、離さないほどの大きな効力を持っていて。何度目かの、恋に落ちる音がした。 ああ。やっぱりすきだなあ。 まだ見ぬ三谷瀬の表情を知るたびに、こんな風に何度だって、俺は三谷瀬に恋をするんだ。 ……たとえ、三谷瀬が男は恋愛対象じゃなかったとしても。 「うん。楽しみにしてるね」 そう言って部屋を出て行った三谷瀬の、もう見えない背中に向かって、声に出さずに呟いた3文字の言葉。この言葉を直接本人に言える日は、果たして来るのだろうか。それは、この荒れた学園が元の平穏を取り戻すよりも遥かに先のように感じた。 しばらく名残惜しげに三谷瀬が出て行った扉を見つめていたが、次の委員長総会で使う書類の締め切りが今日だったことを思い出して、慌ててパソコンを起動させる。 ワードソフトが立ち上がるのをぼうっと待っていたが、ふと思い立ち、先にネット通販のページを開くことにした。 まずはクッキーの機材と材料を頼む必要があるな。ああ、あとは作り方も調べなくては。 もし、もし親衛隊から貰ったというさっきのクッキーよりも美味いもんを作れたら、三谷瀬は喜んでくれるだろうか。 喜んでくれたら、いいな。 渡すときの三谷瀬の表情を思い浮かべて、俺はわくわくとどの型にしようか選ぶのだった。
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