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隊長と約束
三谷瀬幸乃 (ミヤセ ユキノ)
それがあの、特待生の名前だった。
調べるまでもなく、先日理事長から送られてきた編入届けを再確認すれば、すぐに判明できることだった。一番上の項、それも一際大きく記入されてたし。
(三谷瀬幸乃、か…)
何度目かわからないその名前を、そっと頭の中で呟いた。
途端にどきどきと速まる脈も、これで一体、何度目だろうか。特待生の名前を知ったその瞬間から、飽きることなく俺の頭ん中はその5文字で占められていた。
……我ながら恋する乙女かと、ツッコミたくなるくらいだ。や、恋じゃないけど。
恋……ふとそのワードが頭に降ってきて身体が強張る。っつか、え、え、意味わかんねえなに恋ってなんだよ恋って…!
誰が誰に……ってそもそも、何故俺は、この間から特待生の顔と名前ばっか考えてんだ。気色悪すぎだろ、俺。
それもひたすら高揚に浮かされているその相手はあろうことか、俺を嫌っているわけで。
近づくなって言われたし…それも永久的期限で。
……どんだけ嫌悪されてんだよ俺、あいつに何かやったっけ?
なんて思案を巡らせたって、当然だけど思い当たる節はゼロなわけで。
ああだけど、思案中、ふと思い出したことがあった。
最後に見せたあいつの表情、
(何…わかんねえけど……なんか)
「寂しそう、だったな……」
「そーですよ!!咲谷会長ったら最近全然構ってくれなくて、俺、すっごーーい寂しかったんですからねっ!」
所詮はこの呟きも独り言で終わると疑いもしていなかった中、不意に後ろからあるはずない他者からの返事が聞こえ
て思い切り肩を跳ねらしてしまった。
っう、わぁ…。まじてまビビった…これは心臓に悪すぎる。寿命が10年くらい縮んだぞ…
今現在の場所は生徒会室。ちなみに他の役員は揃って不在、ここまでくればある意味尊敬する…はあ…。
「急に声をかけるな。それと入る前にノックをしろ。それくらい常識だろ、アホ」
「なに言ってんですか、結ちゃん。したのにスルーされたから、こうやって驚かせて、復讐してんじゃん」
「結ちゃん止めろ。…っつかお前、いま自分で復讐って言ったよな。確信犯じゃねえかおいこら」
「で?一体何が寂しそうなんですか?結ちゃん」
「だ、から下の名前で呼ぶなと何度言えば……いやもうなんでもない」
こいつが一度こう、と決めたら決してその信念を曲げようとしないことくらいとうの昔に把握済みだ。
振り返るついでに恨めがましく、じと…と声の主に視線を遣れば、「さっすが結ちゃん、本当に物分かりのいい子だよね〜」なんてほざきながら嬉しそうにはにかむそいつは、背丈は小さめで華奢。ブラウンの髪に柔和な二重、可愛い系の容姿をしたーー杉井凌汰 (スギイ リョウタ)のその顔に、俺は昔から、滅法弱い。
まあだからといって、結、と下の名前で呼ぶのとはまた別の話だが。
嫌なんだよ自分の名前…女みたいだから。
「凌汰には関係ない話だ。それにお前だって、俺に用件があるからここに来たんじゃないのか?」
「ごめーとー!!まさにその通りなんだよね」
あははー、なんて頭に手を添えながら笑うこいつは、アホなのかなんなのかきっとアホなんだろうな。
そしてポケットから何かを取り出して俺に手渡してきた。
(もうそんな時期、か…)
手の平にすんなり収まるそれは、辺がやや大きめの長方形をしたUSB。
ちらっと凌汰に視線を戻せば、いつの間にか先程浮かべていた無邪気な笑顔は面影すらなくて。瞳に強い光を宿す、真剣な顔だった。
(……ああやっぱり)
それを合図に、自分のパソコンへとUSBを繋げる。すぐに画面には保存されているデータが映し出された。
――――“神宮聖生徒会会長 咲谷結来、親衛隊隊員一覧”
「つい先程、今年度の新規生が募り終わったところです」
落ち着いた物腰で、テキパキと用件を伝え始める凌汰のもう一つの顔。凌汰は中等部から俺を一番近くで支えてくれていた、俺の親衛隊隊長だ。
隊長を希望したのは凌汰から。
親衛隊隊長になれば、もっと結ちゃんの力になれる。俺が何よりも大好きなその表情で、そう言われた。
「やっぱりあの歓迎会のときの言葉が良かったんでしょうね。前年度と比較して、軽く1.5倍の規模ですよ」
俺越しにマウスを動かしながら画面を覗きこむ凌汰は真剣そのもの。それがいつものあのアホ面とはひどくかけ離れていて、思わずどきっとした。
(やっぱり凌汰を隊長にして良かった)
変わらない関係を改めて実感できて、じんわりと胸が暖かくなった。
なんて、調子に乗るだろうから本人には言わないがな。
「じゃあ、これで俺は失礼させてもらいますね」
親衛隊について一通りの説明が終わり、凌汰が扉の外に一歩足を出した。
「ああ。…何から何まで、本当にありがとな」
本来ならば親衛隊の運営管理などは自分の下で行わなくてはならなかった。
だが、他の役員が転校生に構いっ放しで仕事をしなくなって、その空いた穴を俺が補っている現状では、とてもじゃないが親衛隊の管理まで手が回らなくて。
隊長だからってそこまで凌汰が引き受けなくてもいいのに、自分を情けなく思いながらも親衛隊の管理を頼んだあの日、凌汰は嫌な顔一つせずに、任せて、と言ってくれた。
その言葉通り、温厚派と呼ばれる俺の親衛隊は、事実上凌汰が纏め上げてくれている。
何回感謝の言葉を言ったって、溢れんばかりのこの想いは伝わんないだろう。
「へえ、珍しい。あの結ちゃんが素直に人に礼を言うなんて」
前言撤回、伝わらなくて良し。
目の前のムカつくやろーは雨でも降るんじゃないかとガチで心配そうに顎を手で支えていた。
「っこ、のアホ凌ーー」
ふわ、踵を持ち上げた凌汰が俺の頬へと優しく手を添えた。あまりに自然なその動作に、言葉を呑んだ。
「…隈、また酷くなってる」
「っ、こ、れは…」
笑った顔でも真剣な顔付きでもなく、時たま浮かべる辛そうに歪んだ顔。
そんな顔、凌汰にして欲しくないのに。
「俺言った…これ以上結ちゃんの体が弱っていくなら、理事長にでも言って、他の役員たちに処分を…」
「や、めろ……っ、!」
思わずでかい声がでて、自分でも驚いた。
凌汰は一瞬、くしゃりと顔を歪ませて、だがすぐにまたいつもの笑顔に戻った。…いや、切り替えた。
ズキン、自業自得だというのに痛いくらい胸が締め付けられた。
「………そっか、」
手を離し、ゆっくりと離れていった凌汰の顔はひどく寂しそうで、何故か、特待生の顔が脳裏にチラついた。
「でもご飯と睡眠は最低限とんなくちゃダメだからね!」
「母親かお前は。…明日の昼は久しぶりに食堂へ行こうと思ってる。」
だから、
「……ふふ。うん、ご一緒させて頂きます会長」
俺の言い出せなかった言葉をスマイル付きで先に言われてしまい、恥ずかしさでそっぽを向いた。後ろではまだクスクス笑っている。
「じゃあ、また明日ね!結ちゃん」
「………ああ」
去っていく凌汰の背中を視線に捉えて、何故だか無性に焦燥感に煽られた。
――――これが、凌汰に会った、最後だった。
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