情報収集と謎

1/1
662人が本棚に入れています
本棚に追加
/33ページ

情報収集と謎

◇ 最高潮に盛り上がっていた会場から一転、直接足を運んだ、ここ生徒会室は、最近では見慣れた光景となった人っ子一人いない状態。 片足を踏み入れたと同時に訪れた、静かすぎるほどの静寂に、脳内に纏わりついていた鬱陶しい雑音がピタリと止んだような気がした。 足を働かすたびに部屋に反響する靴が床を擦る音を後目に、張り巡っていた全身の緊張を解くように身を投げた来客用の長椅子へとそのまま倒れ込んだ。 (あー…。やっと一息つける…) はあ…と年寄りくさくも息を吐きながら全体重を椅子に預けて、ゆっくりと瞼を閉じる。閑静にも真っ黒に彩られた瞼の裏に映るのは、やはりとでもいうのか、つい数分前までの景色だった。 生徒たちの盛大な歓喜の声や拍手。 憎しみや恨みで象られた役員たちの顔。 そしてそんな自分に向けられた表情とはまるで対照的な、…転校生に浮かべた、なによりも嬉しそうで、慈愛に満ち溢れた、笑顔。 それを思い出すだけで、身の内を焦がされる思いだ。 現に今だって、血が滲むくらい拳を握り固めている理由が、幼稚にも衝動だけで周りのものに当たり散らさないためというものなんだから。 だがそれはなにも、転校生まじでうざい、今すぐ俺の前から跡形もなく消えれてくれればいいのに…。とかそういう理由なわけではない。 …いや内心それもあるが。っつかそれこそが本心100パーセントだけれども。 そんなんじゃねえ… …そうじゃ、なくて 女々しいけど、浅はかな我が儘だけど、 (…昔はよく見せてくれてたな) 俺の好きだった、見るだけで安心できた、あの笑顔を。 ――きっと二度と、俺に向けることはないのだろう だかどうしようもなく腹が立ったんだ。俺が失ってしまった、精一杯手を伸ばしだってもう掴むことの出来ないであろうあいつらの柔和な心からの笑みを、つい最近、ふらりとやってきただけの奴が、こうも容易くその権利を得て。 …あいつらの笑顔を一点に注がれる、そいつが、転校生が、許せなくて、悔しくて。それ以上に、羨ましかった。 つまりどうしようもなく妬いてしまったのだ、あの転校生に。 (我ながら、吐き気がするほど重いな……。) 自分の中にこんなにも傲慢な思いがあったなんて知らなかった。あまりの救えなさに、思わず自嘲の笑みが零れた。 はぁあ…… 逃げていく幸せに後ろ髪を引かれることもなく、2度目の深い深い溜め息が無意識ながらも口から滑ると、そういえば、と全く別の出来事を唐突に思い出した。 (さっきの…) 興奮の色を浮かべた生徒たちでごった返していた場を割くように歩いていたその際。 すんなりと自然に耳に馴染んだその言葉 前置きが一切無さ過ぎるせいでうまくは聞き取れなかったが、記憶の限りでは確か… (…会長はあんちやらなんやらなのか……だったか?) 予想すらしていなかった反応には正直狼狽えた。というかそもそも、この俺に抱く感想が、好意でも讃美でも、…敵対でもなんでもなくて。あろうことか、若干意外性を含んだ納得なんて、んなの気になるなって言う方が無理だろ。 長げえこと人様から特別視されていたこっちとしては、そんな発言した野郎の面を一目で構わないから拝見したいくらい気掛かりだ。 (っち、気になってしょうがねえ……) 本当になんなんだ…。 まじ訳わかんねえ…。 覚える感情は苛立ちを通り越して、仕舞いには焦燥なんて、笑わせる。こんなに俺の頭の中をかき回せられんのは、精々生徒会の奴らくらいかと思っていたが……。 一瞥、部屋の右隅へと掛けられている時計へと視線を投げかける。単位で時間を刻む針が指しているのは、11と8。 誰一人としてこの場へと訪れる気配がないことから察するに、今も尚、あいつらは転校生と共に、甘い時間を共有しているのだろう。それが、その軽はずみな行動こそが、親衛隊は疎か、一般の生徒たちから批判を買うというのに。 そのことに関しては不満が込み上げる。 でも、 誰もいない、微かな話し声すらしない廊下に、扉を思い切り開ける盛大な音が静寂を打った。 それを合図に、弾かれたように生徒会室から飛び出して廊下を駆けていく。 (うじうじ考え込むなんて、らしくねえ……っ!) 毎回降り注ぐ慣れていたはずの品定めするかのような物言いだって、ただ他の奴らとは一線違っただけだ。そこまで勘考しなくたって支障はないだろうし、元より深い意味合いはないのかもしれない。 (わかってる、んなことくらい) それでも、確証なんて存在しない賭けへと出る、動き続ける足は、もう俺の意志ではコントロールできなくて。 だからもう、あーだこーだと難しいことをいつまでも考えんのは止めだ。 気になるのなら自分で確かめにいけばいい。それこそ一体、俺はどの部分に対して気掛かりを覚えたのかあやふやだが。 初めて耳にした、異色すぎるその言葉に感じた何か。嫌悪とも落胆ともほど遠い、それ以上に隠された感情。 確信はなかった、勘違いかもしれない だけど、もしかしたら、そいつならこの崩れ去ろうとしている今の学園を…… 「うそ……っ!会長様…!?ぇ、あの、えっ本物!!?」 「きゃあぁああぁ!!なんでこんなところに会長様が!!?」 「ぅはあ…近くで見るとより男らしくてかっこいい…!」 歓迎会を終えたばかりのこの時間なら、まだ生徒たちは会場から教室のあるこの棟まで移動している頃合だろうと踏んでいたが、どうやらその推測は正しかったらしい。 案の定まばらな生徒の帰宅に、ほっと胸を撫で下ろす。 も、すぐに俺の姿を確認した新入生たちが黄色い歓声と共に俺を取り囲むように集まりだした。 高等部へと進級してからまだ数日という事実を忘れてしまうような熱気を帯びた支持は、恐らく俺がこの学園の生徒会長だという認識をしてくれた故のものなんだろう。 ……それはすごい励みになるし、嬉しいとも思うが、 「………聞きたいことがある」 状況とは不釣り合いなやけに神妙がかった俺の表情と声色に、気を高ぶらせていた生徒たちは水を打ったかのように静まり返った。 その顔を表すなら真剣の二文字で、恐らく平素とは言い難いであろう俺の表情に気づき、真っ直ぐ受け止めようとしてくれているんだろう。 「変なことを聞くようだが、…今年の新入生。中等部からの進級生の他に、外部から入学してきた奴はいないか?」 ――俺の推測はこうだった。 一流名門校である神宮聖は新規生は初等部からのみという約束事がある故、中・高と進級しても周りに存在している環境と人物はそう大きく変わることはない。そして学園の定め上、高等部以上で選出を許される生徒会や風紀といった、様々な特権を所有する組織。大っぴらな構成や披露会こそは高等部でだが、そういった役職につく面子は大抵以前から周りの生徒たちに絶大な人気を誇っている。 ーーきっと次は誰々がなる。ーーあの人になってほしい。そんな憶測や願望は中等部ではすでに陰ながら囁かれているのだ。それも、確かな確証付きで。 それ故自惚れではないが、次期生徒会長有力候補として注目を浴びていた俺の名と顔は学園中に知れ渡っていた。まあ中には興味すらない奴もいるかもしれないが。 つまりそれがどんな意味を持つのか、答えは簡単だ。 あのとき、そいつは言った。 ここの会長はなんとかなんだと。 なんとなしに零していたその言葉には、改めて感じたような納得さは含まれていなかった。寧ろ、今ここで発見した、という感じだ。それは俺の存在をそのとき…もしくは入学式の際に初めて把握したからではないか。 そして最後の決め手に、初等部からでしか持ち上がれないため高等部に入学してくる時点ですでに周りは顔馴染みな環境。 バラバラだった点と点が繋がり、一つの憶測が導き出された。 (多分そいつは、理事長の言っていた数年ぶりに儲けたっていう特待生だな…) 思案に思案を巡らせて求めた推測は。 それこそ本当に定かでもねえし、所詮ただの憶測でしかないが ―――僅かの可能性でも一縷の光があるのなら、いくらだって賭けてやる…っ、 余程意外性を帯びていたのか、俺の問いに、人と人とが造りだした輪にざわめきが戻った。近くの奴と顔を見合わたり小声を交わしたり。中には小首を傾げている生徒も少なくはない。 (…っつかこっちの方が意外だろ) まさかこれほど知らない奴が存在しているなんて。 確かにずっと身の周りの人物や環境は変わらないからといったって、やたらと生徒数の多い学園上未だに認識していない同級生の奴がいたって何らおかしくはない。 だが小耳に挟むくらいはしただろうと思っていた。 なんたって数十年ぶりの特待生だ、回ってきた噂に好奇心に駆られたり興味を引かれるのは当然ではないか。 …それなのに、まさかこんなにも特待生の存在を認識していない奴がいるなんて、生徒会長である俺ですら思ってもいなかった。 よっぽど地味で目立たない、言うなりゃあ空気のような奴か。それとも逆にその本人自身が目立つのや騒がれるのが単に嫌なだけなのか。 まぁ、どっちにしろ目立ちすぎてなんらかの不祥事を起こしてもらうよりは全然いいが… あの言葉を受けてからじゃまともな思考回路が出来ないのも事実ではある 本当に一体どんな奴なんだ…その特待生とやらは 「ぁ、あの…僕知ってます…っ!」 こっちから声を掛けたというのにすっかりと脱力している俺の前に、一人の生徒がおずおずと姿を表す。 待ち望んでいたその答えに、すぐに期待に満ち溢れた視線を向けた。 「っ…、誰なんだそいつは?どこでそいつの話を聞いた?今はどこにいる?」 「え…ぇえっと!!!」 らしくねえ捲く立てるような質問の嵐に、その生徒は目に見えて戸惑い、忙しなく両手を顔の前で振りかざすも、すぐに我に返った俺が真剣な顔付きで「教えてくれ」と、頭を下げれば、すぐにその生徒は柔和な表情で、小さく首を縦に振った。 話を聞けば、それは案外畏まっていたような内容ではなかった。 初聞きとでもいうような(まぁ実際そうなんだろうけど)周りの生徒たちが度々驚愕の声を漏らしていた中、律儀にも折り重る質問全てに返してくれたその男子生徒に簡単に礼を言って輪の間をすり抜ける。背中越しに耳へ入る生徒たちの名残惜しそうな口々も今だけは受け止められる余裕なんてなくて。 話の中に出てきた場所へと身を翻した。 「あ、会長様だあ!」 「走っているお姿もなんて男前…!まるで汗が煌めいているかのよう…っ!!」 歓迎会からの帰路でピークを越えた廊下一杯に混雑する 新入生や同輩の奴らの人混みの隙間をうまいこと横切っていく。 まだまだ気温の低い早春とはいえ、尋常でない数の生徒たちの密度で室内の湿度は相当高くなっているのだろう。 ごった返した人の波に抗う度に、汗でワイシャツが肌へと張り付く。 だがそんなことは、額に滲む汗すらも気にならないくらい、俺の頭ん中で反芻し続けているのは先程の生徒の言葉だった。 ――――『たしか高等部へ入学して、まだ日も浅かった頃だったかな…。僕の幼なじみに聞いたんです。俺のクラスに見たこともない奴がいる、って』 ほら、もうこれだけこの学園にいれば、それなりに周りは見知った顔じゃないですか? 『多分その人が外部から編入してきたんじゃないかな、って…。クラス内でも色々噂になったらしいんですけど。 ああそういえば!幼なじみが言ってたんですけど、もう一つ皆の注目を惹いたのが、その編入生、すっごい顔が良かったって…!』 美形ばかりが集結したこの学園でも格別に、それ以上に、容姿が整っていて。 まだ話したことないから性格はわかんないけど、もしそいつが初等部からここにいれば、多分間違いなく、親衛隊が出来るくらい…いや、もしかしたら生徒会にだって選出されてんじゃないかってくらいのレベルの顔と品格!! まあとにかくっ!そいつの人を惹き付ける存在感…やばいなんてもんじゃなかった!!! 『――って、興奮しながら話してたんですけど…』 『けど、ならなんで?って僕は思ったんですよね…』 生徒会…、ってああいや…!!勿論会長様は除きますけど!何故なら会長様より麗しく尚且つ男前な人間なんぞ存在しようがありませんからッ!! と、話がズレましたね。会長様以外の役員の方たちと対等…いや、幼なじみ談ならばそれ以上かもしれない容姿と存在を持ちながら、何故、僕は知らなかったのか… いいえ…僕以外の方もそうでした。拝見はおろか、そんな人が編入してきたのすら知らなかったんです…。 『普通なら、学園中その人の話で持ち切りになったっておかしくないのに…』 それも対象は、珍しすぎる特待生。 僕がきちんとこの目で見たわけではないのでうまく伝えることは出来ないのですが…。それだけ綺麗な顔をしているのなら多分、一目見ればああこの人か、ってなんとなくながら感じるんじゃないでしょうか? ―――『それで会長様が聞きたいのは、今その人のいる場所でしたよね…!』 やっと人集りを抜ければ、目の前に広がる一帯はすっかり人数の少なくなった講堂と普通科の棟を繋ぐ渡り廊下。 ついさっき全く同じ道筋を沿ったばかりなのに、その僅か数十分後、再度訪れる羽目になるとは…。本当に何をしているんだか。 しかもガキみてえに何も考えずただ一心不乱に行動起こすなんて…つくづく最近の俺はらしくない。笑い話もいいところだ。 ああまじで馬鹿みたいだな…思わず短小な自嘲が零れる。 俺の変なインスピレーションと意味のわからない期待だけでここまで事を大きくして。挙げ句の果てに入学したばかりの新入生にまでこんな…、こうも余裕のない姿を晒すなんて、 常に自信を掲げて人の前へ君臨し、学園を統率していかなくてはならない立場なのに、一般生徒を騒がさせたのだ。それもあろうことか、生徒会長である俺一人の私情で。 (……あー…生徒会の奴らにこんな姿を見られでもしたら、また嘲笑と罵声の嵐だろうな) ……いや、いつもの嫌味ったらしい愚痴だけならば受け流せばいいだけだ。…まぁ結構心身共に応えるけど、 そんなもの比にならないくらい、俺が予測している幾つかの枝分かれの中で最も恐れているもの。 それは、もし、あいつらが――… 「はあーー。歓迎会とか本当にかったるかったな……。っつかやることほぼ入学式と同じじゃん、やる必要性あったのか?」 「ナナの中での基準はわかんないけど。少なくとも俺には有ったかな、それもとびっきりのがね」 「…どうせまた、例のあれだろ?ったく…長い付き合いとはいえ、つくづくお前の趣味だけは理解できねえわ」 様々な蟠りで全思考を掻っ攫われていた中、不意にその唯一ともいえる思考までもが完全停止する。原因は単純だった。ふと耳に飛び込んできた話し声に釣られるように目線を合わせれば、 (―――――っ、!) ―――『きっとその人なら、まだ講堂を出たばかりだと思います。』 人が捌けきった無人に近い渡り廊下の向こうからこちら側へ肩を並べ歩いてくる、二人組。 一人は欠伸を噛み殺しながらかったるそうに歩く、全国の男子校生のちょうど平均くらいの背丈と、整っているとも格別に悪いとも言えない…こう言っちゃ悪いがまさに平凡な顔をした生徒。 そしてその隣を歩くのが…… 「……と、くたいせい……、」 無意識に零れた声は自分のものとは信じられないくらい、ひどく掠れていた。 不意に脳裏に過ぎったのはあの男子生徒の言葉。 人を惹き付ける圧倒的な存在感。一目見ればなんとなく感じるんじゃないか…… まさに、その言葉通りだった。 すっとした切れ長の目は瞳孔の色が薄く澄んでいて、長めの睫が下を向くように微かに臥せる度に涼しげな印象を与えられる。儚げな艶がありながら整った眉とよく通った鼻筋は冷ややかで、クールという雰囲気にも取れた。180には満たないだろうが、確実に平均は優に越しているであろう背丈、華奢に見えながら、そうは思わせない何か風采があって。 ……知らぬ間に、思わず息を呑むくらい、俺はそいつに見惚れてしまっていた。 そして何よりも驚いたのは、息をするのも忘れ、たった一人の人物だけに全思考を奪われた……自分に、だった。 幼少の頃から俺の周りには、美しいや綺麗な分類へと振り分けられたものばかりが所狭しと埋め尽くしていた。 だがどんなに綺麗なものが目の前を煌めかせようが、美しいものが最高級の光りを放とうが、俺は一度すら、それらのものを美しい、綺麗だ、とは思えなかった。勿論、美的センスが人とズレているわけではないし、嫉妬故のひねくれた思考なわけでもなく、ただ単純に、何の感想も抱かなかった。幻想的な輝きを見せられようが、ああそうなんですか、という思いしか湧けなかった。 それは冷たい無機質だろうが、温もりのある人間が対象だろうが、揺るぐことのない俺の中での定義。 だった。…はずだった。 驚愕したのは自分自身に。生まれてこの方、刹那すら綺麗という感情が見出せなかった俺が。 今、確かに、たった今初めて目にしたそいつを… (瞬きすんのも惜しいと思うくれえ、……見惚れていた?) 気づいた瞬間、つー、と背中に冷汗が流れた。 今にでも蹲りたい衝動に駆り立てられ頭が鈍痛を訴えかけてくる。 (…いや、違う、落ち着け…っ、) これは一種の錯覚かもしれない。度重なった睡眠不足と疲労が引き金となった、ただの気の迷いという可能性も、ある。 確かに特待生(と思われる)は、一流に整った容姿をしていて、醸し出す雰囲気は到底凡人には出せないような魅了される何かがある。それはそいつの同輩のお墨付きだ。 だがそれだけで、そんな身なりだけの理由で、俺が…不本意ながら身を焦がすなんて、んなのあるわけ…ーー
/33ページ

最初のコメントを投稿しよう!