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泥棒の生まれた日
泥棒が生まれたきっかけなんて、陳腐なもの。
三時という時間にずっと居たくなってしまったからだ。
大切なひとを、私は一年近く前に喪った。
友人だった『彼』。
若い頃からずっと近くで過ごしていて、言葉に出して確かめ合ったことはなかったが親友ともいえるほど深い関係だった。
しかし彼は私と過ごす時間を捨ててしまった。
自ら命を絶ったのだ。
ビルから身を投げたのだと聞いている。
電話でそれを聞いたとき、私の心がいかに凍り付いたか。今でもその心臓が止まりそうな冷たさは、私の中に染みついている。
身を投げた彼が抱えていた苦痛がどれほどのものだったのか。私はちっとも理解していなかったのだ。きっと一時的な不安や不遇なのだと楽観して、肩を叩いてやるくらいしかしなかった。
最後に会ったのは、ああ、そうだ。
うららかな午後だった。時間はもう覚えていないけれど、まだ太陽は頭の上からそう移動していなかったから、あれも三時前だったろう。
彼のまだ居た時間。
共に在れた時間。
あの中にずっと居たかったのだ。
せめてあの時間のことはずっと覚えていたいと思うのに、人間の心というものは残酷なつくりをしている。
すなわち、どんどん先へ進んでしまうのだ。そうして傷を癒していく。かなしみも後悔も押し流してしまうように。
私もその例にたがわず、少しずつ彼のことは心の中で薄まっていった。冷たく凍っていた心も少しずつ溶けていった。
だが和らいでいく冷たさは、私にとって恐怖だった。彼が私の中でどんどん遠くなってしまうような気がして。苦痛すらも抱えていたかったのに。
そのときふと、時計が目に留まったのだ。それは家にあった、ただの目覚まし時計だったけれど。
ああ、そうだ。
時間が止まってしまえば彼を喪ったときの心の冷たさはもう温度を変えない。私の中で薄まらない。彼を救えず、みすみす逝かせてしまった後悔を忘れてしまうことなど無い。
それが彼への懺悔になるかと言ったら大いに謎だ。ただの私のエゴかもしれないし、実際その通りなのだろう。
しかしそのエゴが私を泥棒にした。
三時からあとになんて進まなければいい。
そうしていれば、彼はまだ居たのかもしれない。
この世界に、私の近くに居て、それが昔からのクセだったように、ちょっと困ったような顔で笑ってくれていたのかもしれないのだ。
三時半に、駅の改札で待ち合わせな。
最後に会った、あれも三時前だったあのときから数週間後のことだったように思う。
送られてきた、無機質なメールの文字での約束。
それは私の持ち歩く携帯の中に、ひっそりと眠っているのだ。
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