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気を取り直して、咳払いをひとつ挟んでから、大きめに息を吸い込む。
「あのな、小鳥遊。よく聞いとけ」
手を伸ばして、栗色の髪のあいだに指を差し込むと、小鳥遊はびくっと身を固くした。
振り向かないままの背中に向かって、俺は語りかける。
「お前な。今度、誰かに告白するときは、もっと違う言い方にしろよ」
ふわふわの髪は見た目通りの手触りだった。指を滑らせて、くしゃりと混ぜるようにする。
「好きです、はいいけどな。あんなの、身体目当てなんだなって普通、思うだろ?」
俺は思わないよ。
お前がただの恋愛経験のないバカで、ただ俺のことが好きなだけの、バカ正直なバカだってわかったからな。
でも最初は思った。
「好きになった相手、傷つけたくなかったら、ああいう言い方はやめろよ。いきなりキスしたり触ったりすんのも、絶対ダメだぞ」
ちゃんと順番を守れ、犯罪だからな。
一言ずつ、子供に言い含めるように……内容はアレだけど。
小鳥遊は背中を硬直させたまま動かない。何も言わない。本当に拗ねた子供みたいだ。
少し俯いたその頭を、ぐしゃぐしゃと撫でつけてやる。
「わかったか?」と、数学の解説をしてやるときのように、わざと軽く言ってから手を離した。
せんせい、と立ち消えそうな声。洟をすする音も聞こえる。でもその肩は震えたりはしていなくて、やがて意を決したように小さく身動ぐ。
上半身だけで振り向いた小鳥遊は、泣いてはいなかった。
ただ泣いたあとのようにじんわり赤くなっただけの目元で、真っ直ぐに俺を見て、
「せんせい、だいすきです。俺と恋人になってください」
そう言った。
やればできるんじゃねえか。無意識に口角が上がる。
思っていたよりだいぶバカで、相当ぶっ飛んではいるが、言われたことはきちんと守る。
素直な小鳥遊を可愛いと思った。
人差し指と親指で、小鳥遊の鼻をぎゅむっと摘む。
この感情は、生徒に向けるそれだ。
恋愛じゃない。
「十年早いんだよ……ばあか」
摘んだ鼻を引っ張って、ちょっとだけ顔を近づけてから、笑ってみせた。
小鳥遊は目をまんまるくさせて、何度かぱちぱち瞬いて。
それからぽかりと開けた口で「ええー?」と心底不満げな声を漏らした。
「え、今の、そういう流れじゃないんですか?」
「んなわけねえだろ。何回も言わすな、犯罪だっつーの」
「ええ、嘘ぉ? そんなぁ」
さっきの殊勝な顔は何だったのか。眉を八の字にして嘆く小鳥遊は、紛れもなく十六歳の子供の表情をしていた。
「大人になったら考えてやるよ」
「大人って何歳ですかっ」
「さあなぁ」
俺も知りたいよ。とは口には出さない。今度は正面から小鳥遊の頭をわしわし撫でてやった。
世の中にはどうしようもない事がある。
お前が俺よりひとまわりも遅く生まれてきたこととか、教師と生徒として出会ったこととか、そうじゃなかったら出会ってないかもしれないこととか。
それでも、今は限りなく平行に近く見えても、延長線上ではいつか交わる。
そういう軌道上に俺たちがいるのだという確率は、ゼロではない。
たぶんな。
どうだろうな?
「せんせいに頭撫でられて、勃ったんですけど……責任とってください」
「お前さ、俺の話聞いてた?」
「だってせんせいのせいですもん! ちんこさわってください!」
どちらにしても、計算じゃ出せないその答えがわかるまでは、かなり時間がかかりそうだ。
了
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