【問2】条件を満たす値は存在しないことを証明せよ

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「俺童貞だけど、せんせいだって後ろは処女ですよね?」 「しょ、じょ……とか、言うな。男だぞ」 「関係ないです。俺せんせいに童貞もらってほしいし、せんせいの処女ほしいです」 「だから、お前なっ、オッサンに向かって何言ってんだよ、昨日から」 「せんせいはオッサンじゃないです!」 突然、机の上で右手を掴まれた。握っていたペンごと、小鳥遊の両手で包み込むようにされたそこに、じわりと汗が滲む。 「せんせいは、かっこいいしキレイで、俺、びっくりしたんです。一目惚れって本当にあるんだなって。それから、俺のクラスの数学持ってくれるって知って、運命だって思いました」 随分お手軽な運命だな、と思いはするが、勿論口にはしない。高校生の語る運命なんてそんなもんだろう。 それよりこいつ視力はどうなってる。かっこいいはまだしも、キレイって何だ。そういえば可愛いも言われたんだった。 「俺、いっぱい職員室来たり、ウザかったかもしれないけど……でもせんせい、優しくて。笑ってくれるから、顔見るたびに、どんどん好きになって」 俺を壁際に追い詰めたときと同じ、必死な目をしていた。 捕まってしまって逸らせない。 手にも力が込もっていて、少し痛い。 「だから……、俺の好きなひとのこと、オッサンとか言わないでください!」 ーーあ、こいつ、本気だ。 小鳥遊の目を見て、ついに認めざるをえなくなる。 俺だって、人を好きになったことはある。三日、いや四日前に振られた彼女のように。 その逆に、そこまで好きじゃない相手と付き合ったりセックスしたことだって、ある。 だから、わかる。わかってしまう。 言ってることもやってることも問題だらけではあるが、どうやら小鳥遊は本気で、俺なんかを好きらしい。 だが、本気だからといって、受け入れられるものではない。 むしろ冗談か罰ゲームであってほしかった。 「……いいか、小鳥遊。俺とお前は先生と生徒だ。先生と生徒は、そういうことをしちゃいけない」 「それも関係ないです」 「関係なくない。お前、男が好きなのか? それで何か悩んだり、嫌な思いしてるんなら、話くらい聞いてやるから」 昨日言いかけたことを改めて告げると、小鳥遊は不満げに唇を尖らせた。 「俺、せんせいしか好きになったことないから、わかんないです」 「マジか」 「せんせいは、俺とじゃ嫌ですか」 だから、嫌とか嫌じゃないとかいう以前の問題なんだって。 何を言っても小鳥遊は握った手を離す気配もなく、到底引き下がってくれそうになかった。 「せんせい」 覗き込んでくる顔が心なしか近くなっていて、またキスされそうな雰囲気に、慌てて背を反らして距離を取る。 熱っぽく潤んだ瞳。女とは違う、ぎらついた光を湛えた、雄の眼だった。 「せんせいに、もっとさわりたいです」 これでは堂々巡りだ……と、途方に暮れた俺が頭を抱えかけたところで、職員室の引き戸が勢いよく開かれた。 ガラッ、というその音にあまりにも驚いて、比喩ではなく椅子から飛び上がった俺は、反射的に小鳥遊の手を振りほどく。 入ってきたのは隣の席の山本先生で、「小鳥遊、まだいたのかぁ」なんて呑気な声を掛けて寄越しながら、こちらに向かってきた。 幸いにも、動揺して狼狽える俺に気づいた様子はなく、のっそりと自分の席につき、パソコンを開く。 小鳥遊は、振り払われた手のひらを暫し見つめていたかと思うと、やがて参考書を抱えて立ち上がった。 いつもなら「二宮せんせい、ありがとうございました」と笑って帰っていくところを、ぺこりと会釈だけをして、無言で職員室をあとにする。 最後までペンを握りっぱなしだった俺の右手に、まとわりついて離れない小鳥遊の手の、火照ったような体温の記憶だけが残った。
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