私の赤ちゃん

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木曜日、娘の一ヶ月健診の日の朝7時。 一ヶ月健診は病院に到着した順番で行われるとホームページにあったため、朝9時の受付開始時間には到着できるように準備を進めた。娘は朝5時の授乳から眠っている。このあと8時になったらミルクをあげ、8時45分頃ここを出れば9時には病院に到着しそうだ。かかりつけの病院は家から歩いて10分ほど。今日は天気が良いし、ベビーカーデビューにはちょうど良い。 しかし、1つ問題があった。 私はレースカーテンの隙間から外を見た。早朝の公園には犬の散歩をする人や体操をする高齢者などの姿はあるがあの女の姿はない。 先週の深夜にあの女を公園で確認してから、更に二回、あの女が公園からこちらを眺めている姿を見た。一度は夜10時、そしてもう一度は夕方5時頃。 産後一ヶ月は自宅安静と言われているため、外に出ることなく過ごしてきたが、今日は産後初めての外出。あの女がもし襲ってきたらと思うと怖くて仕方ないが、こんな晴れた日の朝っぱらから通勤通学の人々が行き交う道で何かされるわけはないと自分を鼓舞した。 私はマザーズバッグにオムツやミルクなど娘の持ち物を入れ、初おろしのベビーカーを引き、玄関を開けた。 産後一ヶ月、ずっと家に引きこもっていたせいで塞ぎ込み気味だったが、外の空気を吸うと何となく気持ちが上向きになる。今なら武とお互いの気持ちをぶつけ話し合い、またやり直せる気すらしてきた。 私はベビーカーを押して階段ではなくエレベーターへ向かう。このマンションに越してきてエレベーターを使うのは、引っ越しの荷物を運んだ日以来だ。電子音とともにエレベーターが三階に止まる。他に乗車する人がいなかったため、狭いエレベーターでもベビーカーをたたまずに乗ることができた。 再び同じ電子音が鳴り、一階に到着。郵便ボックスが並ぶエントランスホールの先にある自動ドアを抜けると、外に出られる。 たかが病院に行くだけなのにこんなに外出が楽しみなのは初めてかもしれない。ガラスの自動ドアが開き、一ヶ月ぶりに外の世界へ踏み出した、まさにその時だった。 道路を挟んだマンションの向かいの歩道に、あの女が立っていた。女は私の姿を確認すると、他に目もくれずこちらに歩いてきた。 あの女が、武との唯一の繋がりを奪いにきた。 私は恐怖のあまりベビーカーを押して走り出した。 「誰か……!誰かぁあ…!」 女は足音をたて走ってくる。こんなに行き交う人がいるのに、誰も助けてくれない。 肩に違和感を覚え振り向くと、女が引きつった顔で私の肩を掴んでいた。右手には赤い何かを持っている。この女が娘の命を狙っていることは一目瞭然だった。 「誰か…誰か……助けて…」 恐怖のあまり声がうまく出ない。私はその場に崩れるように座ると、女は躊躇なくベビーカーに手を伸ばし娘を奪った。私は恐怖で朦朧とする意識の中、必死に娘だけは守ろうとした。しかし、女は娘から手を離さない。 「やめて、娘を…返して…」 私はなんとか娘の左腕を掴むと力一杯引っぱった。すると、娘の左肘から下が簡単に抜けてしまった。 「いやあああ!私の赤ちゃんがあああ……!」 赤ちゃんって、こんなに脆いものなの? こんなにすぐに壊れちゃうの? 女が娘を抱いたまま私に覆い被さってきた。 私も、この女に殺されるのだろうか……。
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