私の赤ちゃん

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✳︎✳︎✳︎ 真知子の様子がおかしくなった。 ある日を境に母親が俺や真知子に子どもを急かすようになり、仕事熱心だった真知子が急に妊活だの健康づくりなどと言い出した。 自宅で排卵のタイミングを見てセックスを続け、半年しても妊娠しなかった場合は2人で産婦人科へ行こうと思っていた。しかし、俺が知らない所で真知子は1人で産婦人科に通っていた。不妊は女性だけに原因があるわけではない。 結婚して2年半後、俺は真知子と共に産婦人科を訪れ検査をしてもらうことにした。そして半月後に出た結果が「乏精子症」だった。つまり射精した精液中の精子が少ないというもの。医師曰く、必ずしも子どもができないわけではなく、人口受精や体外受精などで妊娠は可能とのこと。しかし、費用がかかる割りに受精成功の確率が低く、すぐに妊娠できるかどうかは分からないとのことだった。俺も真知子も若くはない。俺はショックを受けたが不思議と真知子は悲しむ様子がなかった。 真知子は検査結果が出た翌月には何事も無かったかのようにタイミングによる妊活を再開しようとしてきた。俺は何の冗談かと思い、丁重に断り続けた。しかし、断れば断るほど真知子の妊活への意識は強くなり、ついには仕事へ行くことを忘れ、朝から晩まで妊活について調べ、妊娠しやすいと言われる献立を作り、日帰りで子宝や子どもの授かりにゆかりのある寺などを1人で回り出した。心配になった俺は、精神内科へ相談した方が良いかと思い真知子を連れ出そうとしたがもちろん聞く耳など持ってくれなかった。 真知子の肉親は父親しかいなかった。その父親が死ぬ前に思いもよらない話をした。 「俺が真知子から母親を引き離したんだ。俺がバカだった」 真知子が3歳の時、父親は仕事がうまくいかないストレスを当時の妻、つまり真知子の母親に当たり散らし、ついには暴力を振るうようになった。そのせいで妻は家の外で自分を助けてくれる男性を作った。その浮気が更に父親の怒りをかった。父親は親権を譲らず、妻と別れた。真知子は父親から「母親が不倫の末、家を出た」と聞かされたまま大人になったという。 俺は興信所に依頼し、真知子の母親の行方を探した。すると同じ県内に住んでいることがわかった。当時助けてくれた男性と結婚したものの、子どもは作らなかったようだ。興信所から母親へ真知子の現状を伝えてもらうと、すぐに俺と直接会ってくれることになった。 母親は65歳で、目元が少し真知子に似ていた。母親は涙ながらに話を聞き、私のせいです、私のせいです、と終始謝っていた。 母親と会って10ヶ月くらい後だろうか。真知子がどこからか拾ってきた人形を「私の赤ちゃん」と言って世話をし始めた。 オムツや哺乳類、ベビーベッドやベビーカーなどありとあらゆる新生児グッズを買い揃え、必死に世話をしていた。 その姿に流石に俺も耐えられなくなった。これを真知子の母親に伝えると、私が近くで見守り何かあればすぐに駆けつけると言ってくれた。 人形を育て始め一ヶ月振りに真知子は外出をした。俺はその日仕事を休み、真知子の行動を見守ることにした。 真知子が家を出たタイミングで後をつけると、マンションのエントランスで真知子の母親が待っていた。母親は昨日、「真知子が赤ちゃんの頃に作った手編みの赤い帽子があるの。それを見せたら私を思い出してくれるかも」と話していた。しかし、真知子は母親の顔を見ると叫んで走り出した。俺もあとを追おうとしたがすぐに母親が捕まえた。そして座り込む真知子を優しく抱きしめ、「まっちゃん、ごめんね。まっちゃん、ごめんね」と声を震わせ何度も謝っていた。 真知子は気絶したようにその場で眠った。 もしかしたら真知子は、俺が思っていた以上に子どものままだったのかもしれない。母親の愛情に触れ、ようやく大人への一歩を踏み出すきっかけになったのではないか。 これを機に真知子の心が大人になり、親になる準備ができたら、2人の間に初めて赤ちゃんが授かるかもしれない。真知子と真知子の母親の姿を見ていると、そんな気がした。 了
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