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「ほら、おにいさん、みて」
小さな指先が指すのは俺の背後だった。
振り返るとさっきまで誰もいなかったのに、そこには1人の女子が立っていた。年は俺と同じくらいだろうか、セーラー服に身を包み、手には白い傘を握っている。
彼女はすいっとネクタイリボンを外すと、風に乗せてそれを捨てた。
バン!と傘を開く軽快な音が響く。
傘の骨が生き生きと手を広げ、シミひとつない真っ白な生地がそれを覆っていた。
彼女は一歩、また一歩と足を前に進めた。
それと同時に俺の中に嫌な予感がじわじわと広がっていく。なぜなら、彼女の行く先はさっきまで俺が立っていた崖だからだ。
「おいっ……!」
そう声を上げ、立ち上がった時にはもう遅かった。
彼女は残りの数メートルを一気に駆け抜け、傘を振り上げるとそのままーーー
飛んだ。
一瞬背中に羽が見えた。
でも羽なんてものはどこにもなかった。なのに傘を持った彼女はふわりと浮き、曇天の先へと飛んでいく。
彼女の行く先ではついに雷が轟き始めていた。ここからでも分かるほど、大粒の雨まで降り始めている。
なのに彼女は怯むことなく飛んで行ってしまった。大きな白い傘が彼女をどこまでもいざなって行く。そしてしっかりと守っているようにも見えた。
訳がわからないまま、俺はまたその場にしゃがみこんでしまった。俺の存在なんて視界にも入っていないような、ただ前しか見ていない彼女の瞳が何度も俺の脳裏に蘇る。
「なん、なんだよ一体。マジックか何かか?」
呟いた声はまた風に煽られ消えていく。目線の先にいた、傘を持って飛んで行った彼女もいまや小さな点となり、遂には見えなくなってしまった。
「みんなかさをもってここからとぶんだよ」
「は?そんな馬鹿な。何言って」
「おにいさんだって、もってるでしょ?」
もしかして、傘があればこの妙な空間から抜け出せるのか?
俺は僅かな希望を頼りに勢いよく周りを見回した。だが彼女が持っていたような傘はどこにも見当たらなかった。視界に映るのは、この手に触れるのは、雑草だけ。
俺は10以上も歳が離れているだろうその少年を、恥ずかしげもなく睨みつけてしまった。
「どこにもねぇ」
「そっか、わかんないんだ」
「は?」
少年はぽつりと呟くと、先程見た傘のように両手をぴんと広げ、俺の両目をしっかりと見つめてこう答えた。
「あれは、ゆめのかさだよ」
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