脱却

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「おにいさんのゆめって、なに?」  少年のか細い声でやっと我を取り戻した。目線を下げると少年が上を仰ぎ見ている。俺を見つめるその両目は不安げに揺れていた。 「俺の夢……」 「そう、おにいさんのゆめ」 「俺、俺は……」  安定した職につき、安定した未来を。  そんな定型文のような言葉は全部捨て、自分の奥底から這い上がってくる大切な言葉だけを選び、口から出した。 「俺、絵本作家になりたいんだ。5、6歳の時に見た星の王子様が忘れられない。見てるだけで優しい気持ちになれる、大切なことを教えてくれる、大人も子どももみんな優しくしてくれる絵本を作りたい」 「しってるよ。これでしょ」  少年が懐から取り出した絵本はかつて幼い俺が初めて書いた絵本だった。拙い、絵本とはとても言えないようなものだったのに、友達、家族、みんなが喜んでくれた。  もう「なんでお前がそんなものを?」なんて言わない。俺はずっと忘れていただけだ。いや、忘れたフリをしていただけ。 「ごめん、ずっと忘れたフリしてた」 「そうだよ、ひどいよね。ぼくたちこんなににてるのに」 「ふっ、そうだよな。その変な笑い方、俺にそっくりだ」  少年は右口角だけあげると、また歪に微笑んだ。俺と同じ笑い方だ。なんで気づかなかったんだろう。こんなにも強烈に覚えているのに。かつて俺が夢を抱いた日のことを。 「お前は……俺だ」  そう言うと、少年は心底嬉しそうに微笑み、立派な傘のように両手を広げた。  すると、たくさんの光をぎゅっと集めたように少年の体はきらきらと輝きはじめた。ぽろぽろと星屑のように七色に光る光の粒が足元に転がる。一瞬にして目の前が真っ白になり、視界が遮られた。  少しずつ視界が色を取り戻し始めた時、視界の端に傘の先端が見えた。ハッと息を飲む。目の前には少年が着ていた服と同じ、俺の好きな群青色をした大きな傘が佇んでいた。  ぴん、と骨を伸ばし、傘にこんな言い方はおかしいかもしれないが、元気で生き生きとしている。  そっと傘を手に取ると、じんわり体がほどけていくような暖かさを感じた。そしてそれは不思議と自信に変わる。  ぎゅっと傘の柄を握りしめると頭の中に少年の、幼い俺の声が響いた。 「もうわすれないでね」 「忘れるわけがない。お前は俺だろ」 「そう、ぼくはきみ。ずっときみのなかにいる。きみがわすれないかぎりぼくはきっと、なんどでもきみもまもるよ」
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