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ーーーザッザッザッ
草を激しく踏みしめる音が後ろから聞こえる。その音に驚き少年も、その両肩を握りしめた俺も勢いよく振り返った。
きっと俺も少年も同じ顔をしているだろう。そこには立派なウェディングドレスで着飾った女性がこちらへ一心不乱に歩いてきていた。
女性はベールを鷲掴むと、風に乗せてそれをぶん投げる。
俺たちは視界に入っていないようだ。崖の手前まで差し掛かると、彼女は遂にドレスにまで手をかけ、せっせと脱ごうとしていた。
「ちょっ、おい! まっ待ってくれ! それ、ここで脱ぐ気か?」
話しかけるつもりなんてなかったのに、言葉が口をついてでてきていた。
女性の裸を見るのが忍びないなら目を逸らしておけばいい。なのに俺は声をかけずにはいられなかった。ウェディングドレスを脱ぐなんて、恐らく彼女は既に手中にある幸せを投げ捨てて空を飛ぼうとしている。
あんな小さな傘で。
彼女の手に握られていたのは朝焼けのようなオレンジ色をした、折り畳みの日傘程度の大きさしかない傘だった。
彼女はぱちくりと目を見開くと、初めて他人の存在に気がついたかのようにこちらを凝視した。
「びっくりした……人がいたのね」
「あんな一心不乱に歩いてたら、気づくはずもないだろ」
今まで飛んで行ったやつらもそう。俺みたいなエラーは興味がないとでも言われているみたいだった。
「うーん、何? レディならこんな所で素裸になるなって言いたいの?」
「ま、まぁ……だって気になるだろ」
「そう。優しいのね。じゃあこれだったらいい?」
そう言うと女性はひらひらと風に舞うレースの裾をむんずと掴み、思いっきり引き千切った。
ぶちぶちと布を引き千切る音がいっそ清々しいほどに響き渡る。真下から少年が、わお……と呟く声が聞こえた。
彼女は無駄な装飾を千切るだけ千切ると最後にネックレスとピアス、そして薬指の大きなダイヤモンドを握りしめ、野球選手ばりの強肩で遠くへ放り投げてしまった。
彼女が纏っていたドレスは、極々シンプルなただの白い膝丈ワンピースになっていた。
「……まじかよ」
「はーすっきりした! これで思い残すことは何もないわ」
「ちょっと、待てって!」
「まだ何かあるの?」
彼女は日傘を開くと、曇りひとつない目で俺を見据えた。
何かあるのかだって?
この女、狂ってやがる。ドレスを着ていたってことはこれから約束された未来があったってことだ。
なのにそれを台無しにして、あんなちっぽけな日傘で飛ぼうとしている。あの悪天候の中を。
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