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11 夫婦
休日の昼間、のんびり過ごしている直樹のもとへ、かつての林業組合員で今は退職した望月の妻から電話がかかってきた。高齢の望月は今、入院し直樹に会いたがっているとのことだった。
「ちょっと病院に行ってくるよ」
緋紗に事情を告げて素早く支度をした。
「うん。いってらっしゃい。ゆっくりしてきて」
「そうだね。おじい様孝行してくるよ」
明るく言う直樹の背中に、緋紗には悲しそうな寂しそうなものを感じて静かな気持ちで見送った。
『望月 悟』一つしかない名札を確認して病室に入ると、相部屋らしく四つベッドがあった。
望月がいるベッドの横に、さっき電話をかけてきた妻の園子が静かに座っている。
「失礼します。大友です」
直樹は静かに声を掛けた。園子が静かな微笑みで頭を下げながら「ああ。大友さん。来て下さって、まあ。あなた、大友さんよ」 と、望月を少し揺すった。
「ん。うん? おお、直樹来てくれたのか」
身体を起こして望月は機嫌良さそうな顔で直樹に言う。(痩せたな)
山の中で仕事を始めて教わった時、直樹は二十八歳で望月は六十歳だった。直樹にとって望月は先輩であり師であり父親同然だ。
仕事上の技術もさることながら精神性、人生観なども大きく影響を受けている気がする。素直に慕っていると言える人物だった。
「お久しぶりです」
直樹は深々と頭を下げ、望月の好きな香美堂のプリンを渡した。
「おお。覚えてくれてたのか。嬉しいなあ」
少し痩せた顔を綻ばせて望月はプリンを眺める。
「ありがとうございます」
園子が頭を下げた。
「いえ。ご迷惑じゃなかったらいいんですが」
直樹は恐縮してまた頭を下げた。
「おとうさん、ちょっと飲み物でも買ってくるわね。よかったらゆっくりしてくださいな」
「あ、お構いなく」
園子は病室を出て行った。
「どうだ?調子は」
「まあまあです。新人も入ってきてちょうど続くかどうかの瀬戸際ですね」
「直樹。立派になったなあ」
嬉しそうに目を細めて言う望月を見ていると直樹は泣きたくなった。
「いえ。望月さんが俺に色々教えてくれたから……」
「そんな顔するな。全くお前は昔から素直な奴だなあ」
望月はあははと明るく笑う。
「最後にお前を育てられてよかったよ。真っ直ぐな樹になった」
「ありがとうございます。俺も望月さんのおかげでずっと続けられています」
「安心して逝ける。お前がいてお前がまた誰か育てて。樹も森も育って。こうやってお前と話すだけで山の中にいるような気分だ」
望月の言葉に直樹は涙をこらえることができなくなっていた。
「お前みたいないい男泣かすなんて俺もまんざらじゃねえな」
面白そうに言われて直樹も少し笑った。
「まあ嫁は泣かさないようにな。俺はちょっと泣かしちまったがよ」
「頑張ります」
園子が病室に戻ってきた。
「コーヒーどうぞ」
「すみません。いただきます」
少し鼻の下をこすって眼鏡を直し直樹はコーヒーを啜った。
「今、困ったことがあるんじゃないのか」
「ないわけじゃないですけど、何とかなると思います」
昔から直樹の様子を察して望月はさりげなく気遣ってくれていた。
「うんうん。まだこれから色々あると思うけど大丈夫そうだな。でも頼れるときはちゃんと人を頼るんだぞ」
「はい」
「俺の身体がなくなるだけだ。そんな辛そうな顔すんじゃねえよ」
「そうかもしれないですけど、まだそんな達観できませんよ」
直樹は少し微笑んで返すと、園子が静かに話す。
「この人と一緒になって色んなことがあったけど、やっぱりこの人で良かったと思うんですよ。私の時代にはまだまだ女には選べないことも多かったけど今でもきっとこの人を選ぶと思うのよね」
「おい。直樹の前で恥ずかしいこと言うんじゃねえ」
照れて望月は布団をかぶり中から言った。
「俺もお前を選ぶよ」
園子は笑いながら泣いた。
直樹は自分たちもいつかこんな夫婦になれるようにと願う。そして望月から受け取ったものを、次の世代を担う人に渡していこうと改めて思うのだった。
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