8 林業女子

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8 林業女子

 すんなり伸びた杉の木が等間隔に並べられている森の中で、浅井柚香は深呼吸をする。すがすがしくてしっとりとしてとてもリラックスできる場所だ。 踏んだ柔らかい感じの地面が心地よい。柚香は三十歳を目前にして林業組合に転職した新人だ。(やっと来れた)  ずっと憧れていた職業だったが、男社会という事と危険度によって家族に猛反対をされていた。林業以外ならなんでもいいと言う事で、これまで園芸、造園、建築、木材関係等の色々な木に関係のありそうな仕事をしてきた。 結局どの仕事も柚香には今一つで、短期間で転職を繰り返す羽目になっており、あまりの転職の頻度の高さに、とうとう家族は林業組合への転職を許した。(木が触りたいんじゃない。森の中にいたいんだってばっ)  林業組合員だった柚香の祖父は、幼い頃いつも森の中の話をしてくれた。毎日違う森の色、香り、柚香は毎日、森の様子を祖父に聞いていたおかげで気分だけは森の住人だった。いつか大好きな祖父のように森の中へ行こうと思っていたのだ。  数名の男に混じって研修を受けながら、毎日体力との戦いだったが幸い、休憩時間と終了時間、休日がきちんとあるのでなんとか持ちこたえていた。 また組合員の中に、柚香をときめかせる男がいたおかげで仕事へのモチベーションが高かった。(大友直樹さんって渋いなあ。仕事の仕方も外見も) 持ち場が同じではあるが仕事の内容上、たいした接近はできない。なんとか昼食時に顔を合わせることができるのだが他の組合員の手前、会話を交わすことも難しかった。 しかも既婚者であることを、人伝えに聞いて知っていた柚香にとって憧れの先輩という位置にしか存在させられなかった。  新人研修の間、他の新入りの男より体力や仕事を覚えることに後れを取ってはいなかったし、柔軟性と木に関係した転職数のおかげで林業組合に馴染むことは早かった。 ただ重機の扱いが苦手で、チェーンソーは勿論のこと草刈機ですら上手くエンジンが掛けらず、他のベテラン組合員にも教わったのだがうまくいかなかった。  そこに直樹が現れる。まず直樹の手つきは滑らかで扱う重機がまるで楽器のようだった。(チェーンソーがマンドリンに見える……) 丁寧にコツを教えられ、重機を人並みに扱えるようになった頃には、尊敬と感謝とが入り混じった恋心が芽生えていた。  終了時間が近づいてきた。春とはいえ森の中は薄暗くなってくる。 「浅井さん」  柚香は声を掛けられて振り向いた。(あ、大友さん……) 「はい」 「明日休みだけど、僕の家で夕飯食べない? 送り迎えはしてあげるよ」 「え。ほんとですか。行きます行きます」  (やっと順番が来たっ)直樹が新人を個人面談のように自宅に呼んで交流を深めていることは知っていた。 「じゃ夕方アパートに行くから待ってて」 「はい。待ってます」  落ち着いた低い声に少しうっとりしながら柚香は帰り支度を始める。(帰ったらさっそく服選ばなきゃぁ)柚香は気合を入れて家路についた。 「明日また新入り呼ぶよ」 「そうなの。今度はどんな人?」 「今度は林業女子」 「え。女の子なの?すごいね。体力仕事なのに」 「そうだね。よく頑張ってると思うよ」  直樹はフォレストマネージャーになっており、人材の育成にも力を注ぐ責任があった。三十代の頃は森にいて木々の相手をすることだけに関心があり、人との関わりには大した興味を持てなかったし、必要だとも思わなかった。 ただ段々と責任が増えるにつれ、後進の育成にも必然的に関わることになる。幸いなことに年齢を重ねるにつれ、人とのかかわりが億劫でなくなってきたし、積極的に育てようと思う意欲も湧いた。 新しく入った組合員をこうして自宅に招くことも増えている。そうやって交流を深めながら人と森をも直樹は繋いで行った。
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