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が、意を決したのか再び鏡に向き直ると、化粧落としをたっぷりと取り、一気にその赤を拭った。
「は……?」
目の前の光景を見た俺は、思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。
赤が消えたその時、女の姿が崩れ去った。そこに現れたのは。
「えっと……騙していてすみません」
俺の見知らぬ若い男だった。小さく頭を下げる。こちらに向いた裸の体には、しっかりと男の手がかりがある。声も高めだが男のそれだ。
「え、いや、待ってくれ、一体……」
彼は気まずそうに目を泳がせて、鏡を見た。そこに映し出されているのは、化粧の落ちた男の顔。……どういうことだ? この部屋にいたのは確実に女だったはずだ。先程まで戯れていたのだ。間違いない。しかし目の前にいるのは————。急激な変貌で先程までの空気が全く違うものになってしまった。どことなく気まずく、俺もベッドの上で居住まいを正す。
「さっきまでの姿は……偽物で。こっちが本当の僕なんです。ごめんなさい」
そう言うと彼は、鏡の近くに置いてあった何かを取った。
「……これ、なんです。僕に魔法をかけていたのは」
「……それが?」
彼が握って見せたのは、何の変哲もない口紅だ。そこらへんで売っているものと変わりはない。
「これを塗ると、まぁその……変身できるんです。魔法がかかってる、みたいで」
「魔法、か」
現代日本では、そうそう聞くことのない単語。いささか非現実が過ぎる。しかし嘘だ、とはもう言い切れない。自分の目まで疑っていたら、信じられるものなどこの世にありはしない。
「だから、その……そういうこと、です」
……要領を得ない説明だが、頭の整理はついた。つまりその口紅を使って、この男は女として、夜な夜な男と交わっていた、というわけだ。
暗い部屋の中でその赤は、男の背中越しに化粧台の電灯を浴び、光沢を放っていた。
「絡繰りはわかった。別に俺は怒ってはいない。構わないさ」
「……すみません。なにせ、このことを言うのは初めて、ですから。……怖くて」
気弱そうな男が更に縮こまる。
「今までの男たちには言ってこなかったのか?」
「ええ。……仮にも騙しているわけですから、言えなくて」
随分と支離滅裂なことを言う男だ。俺は呆れて鼻を鳴らす。
「しかしその口紅、どうやって手に入れたんだ?」
「…………だいたい同じ、ですよ。こうしてホテルで出会った人、から貰いました」
成程。類は友を呼ぶということだ。
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