Terrarium

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 何かが硬いものにぶつかる音。その硬いものが割れる音。その破片が落ちる音。それら一連の音で目が覚める。いつの間に眠っていたのだろう。ゆっくりと上半身を起こし、ベッドの上から天蓋をそっと開く。部屋の中央、天窓の真下に黒い塊があり、その周りがキラキラと輝いている。ぼうとした意識のまま、ベッドから降り立ち、ゆらゆらと塊へと近づく。何なのだろう、この黒い塊は。よく見ると、僅かに動いている。静かに、ゆっくりと。私は屈んで、塊を見る。それは朝日を浴びて、塊から鳥へと姿を変える。翼があり、(くちばし)がある。確かこの鳥は、鳩だったと思う。私は素早く立ち上がり、本棚へ駆け寄る。真白い図鑑を引っ張り出し、天窓の下に戻る。頁を忙しなく捲り、所望の頁を探す。有った。やはり鳩だ。図鑑の写真と見比べる。鳩がガラスを破り、この部屋へと入ってきた。この部屋への初めての来客、初めて見る生き物に私は興奮する。眠気など一瞬で吹き飛び、はっきりと意識が覚醒する。横たわる鳩にそっと手を当てる。温かい。緩やかに上下している。そうか、鳥も呼吸をしているのだった。あれ、でも鳥は空を飛んでいるものではなかったかしら。ああ、鳥も眠くなれば、地面に降りてくるのか。 「もし……もし……」  小さな声で呼び掛ける。鳩は喋れたかしら。赤ずきんは狼に(そそのか)された。アリスはチェシャ猫とお喋りをした。鳩が言葉を話せるのかどうか、思い出せない。図鑑には、肝心のその部分が記載されていなかった。仕方なく、暫く声を掛け続ける。しかし、返事が返ってくる気配は一向になく、呼吸も心なしか浅くなっているような気がする。よく見れば、この鳩は血を流している。ケガをしているみたいだ。生き物は大量に血を流すと死んでしまう。そう本に書いてあったはずだ。手当をした方が良いのだろうか。しかし、この部屋には、包帯もなければ、消毒液もない。とりあえず、白いハンカチーフを手に取り、それで鳩を包み込む。鳩はもう虫の息だ。もう一度呼び掛けるが、返事はない。どうすれば良いのかわからず、鳩を両手で持ったまま、部屋の中を迷子のように歩き回る。鳩の血がハンカチーフから染み出し、床へ点々と染みを作っていく。私が歩いた軌跡を示すそれは、歪な幾何学(きかがく)模様を描き、再び部屋の中央へと戻ってくる。鳩はもう息をしているのかわからない程ぐったりとしている。 「貴方は死んでしまうの?」  ぽつりと声に出して言う。それと同時に涙が頬を伝う。音も無く流れるそれに、私は気が付かない。何もできずに、只々死にゆく鳩を見つめる。無力感からそうした訳ではなく、生命が消えゆくその瞬間に、私は心奪われていた。初めて自分以外の生命に触れ、初めて他者の最期を看取る。本の中では幾度となく見た場面。けれど、現実の死はあまりにも呆気なく、静かに訪れた。鳩から感じていた僅かな振動は消え、身体もいつの間にか冷たくなり始めていた。何の余韻も無く亡くなった命を前に、私は暫し呆然としてから、手に持つ亡骸をどうするべきなのかを考え始める。人は死体を燃やしたり、地面に埋めたりして葬る習慣があるみたいだ。ここでは死体を燃やし尽くす程の炎はないし、埋めるための土もない。少しの間悩んで、ベッドの下から空の御菓子箱を引っ張り出す。ブリキの箱の中へ、ハンカチーフごと亡骸を押し込む。燃やすこと、埋めることが叶わずとも、棺桶なら用意できるのではないかと考えた。鳩は少し窮屈そうに箱の中に収まった。血でべとついてはいるけれど、綺麗な死に顔をしている。私は箱の中の鳩へ微笑む。そのまま蓋を閉め、テーブルの上へ置く。本当は手向けの花があると良いのだけれど、この部屋には花がない。花があれば、死者もとても喜ぶだろう。誰が考え付いたのかわからないけれど、とても良いことだと思う。私なら他に何も要らないから、花を供えて欲しい。だから、眼前の箱の味気無さが気になる。何か添える物がないか、辺りを見渡す。しかし、目に入るものは全て白。当たり前だ。この部屋にはそれしかないのだから。それでも、化粧台が目に留まり、私は引出しからリボンを取り出す。もちろん、これも白い色をしている。自らの手にそのリボンを巻く。巻いたリボンに鋏で切れ込みを入れる。もう一つのリボンで固定する。リボンを捻じりながら広げていく。 「せめて、これを――」  白銀の箱の上に、作ったフラワーリボンを乗せる。彩りは全く変わらないけれど、花があるというだけで、先程とは違って見える。何か尊さを感じる。この鳩は完璧に死んだのだ。こうやって葬ることで、生まれてから死ぬまでのこの生命としての一生を真っ当したのだ。私にはそう思えた。そして、とても羨ましく思えた。私はこの鳩と同じように棺桶に入ることができるのだろうか。それとも、死して尚、この部屋に囚われ続けるのだろうか。何となく後者のような気がして、恐ろしさからそれ以上考えるのを止めた。 「ゴホ、ゴホッ。」  唐突に咳が出る。風邪でも引いたのかしら。喉に痛みや違和感はないけれど、今日は安静にしていよう。私は文庫本を手に取り、ベッドへと向かった。ベッドの上から箱を見る。箱はちゃんとテーブルの上にある。それを確認してから、天蓋を静かに閉めた。
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