Terrarium

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 生まれた時からこの真白い部屋にいる。半球状の、ドーム型のこの部屋は、まるでクロッシュを被せられたお皿の上のよう。でも、壁も床もベッドも本棚もテーブルも全てが真白いここが、私の生きる世界の全てだ。私自身もフリルの付いた真白いネグリジェを着ている。  白、白、白。  白ばかりの世界の中にも、唯一つ白ではないものがある。クロッシュの天辺にあたる場所に、円い天窓が()め込まれている。その天窓を通して見る空は、青、赤、黒、灰と様々な色をこの部屋に、この私に(もたら)してくれる。窓枠は太陽や月の形に整えられていて、私はその偽物の天体越しに本物の空を眺める。昼は空から降り注ぐ温かな日差しを全身で浴び、夜は闇の中で瞬く星々を仰ぎ見るのが好きだ。  しかし、今日は生憎の曇り空なので、薄暗い部屋の中、ランプを点け、ロココ調の装飾が施された本棚から背の白い本を取り出しては(ページ)を捲り、また違う本を取り出しては頁を捲ることを繰り返す。植物の蔓を思わせる波打つ曲線で成る棚の飾りは、写真や絵でしか花を知らない私の眼にはとても魅力的に映った。本物の蔓はこの飾りのように綺麗な曲線を描き、幾重にも重なった花弁を携えた花々をその細い線にどのように乗せているのだろうか。薔薇の蔓には本当に棘があり、近づく者に痛みを与えるのだろうか。いつか、本物の花を見てみたい。  そう思うと、自然と植物図鑑に手が伸びた。他の本と同じ真白い背をしているA4判の分厚い本。抱えるようにしてテーブルまで運び出し、大きく広げる。開く頁に迷いはしない。癖が付くほど見返した薔薇の頁。真白い部屋の中、紅い花が咲き開く。ワインレッドやスカーレットとは違う薔薇の色。果皮や虫から抽出されたものとは異なる気高い色。私の髪と同じ赤い色。ああ、印刷ではない本物の赤を見てみたい。こんな所に生まれてこなければと、自分の運命を呪う。ロミオやジュリエットも同じように思っただろうか。きっと外の世界ならば、至る所に沢山の薔薇が咲き誇っているだろう。イングランドにも、フランスにも、ペルシアにも、ネバーランドにも、アリスが行った不思議の国にも。早くここを出て、本の中でしか知らない世界を見てみたい。  でも、私にはできない。この部屋の唯一の出入り口である扉には鍵が掛かっている。そして、私はこの扉が開いているところを一度も見たことがない。白い大きな扉。部屋の壁と同化して見えるその扉は、開くことを拒んでいるよう。あの向こうに、恋焦がれる外の世界があるのだろうか。いや、きっと繋がっている、薔薇が咲く美しい世界に。  私は外の世界を妄想し、扉を見つめ続ける。そんな自分に気付き、扉から目を逸らす。自らの感情から逃げ出すために。図鑑を閉じ、棚へ戻す。 「少し――踊りましょう。」  誰に言うともなく、そう呟く。オルゴールの螺子(ねじ)を巻き、部屋の中央へ歩み出る。  メロディに合わせ、クルクルと廻る。白いネグリジェの裾を(ひるがえ)しながら。赤い髪を(なび)かせながら。  私のお気に入りの曲。メアリー・スーサイドが歌う、少し物悲しい歌。でも、聴いていると、気持ちが落ち着く。目を閉じ、歌を口遊(くちずさ)む。踊る。廻る。シンデレラのようにガラスの靴は履いていないけれど、白雪姫のように美しい歌声は持っていないけれど、こうやって踊ることで一時とはいえ、自分の不幸を考えずに済む。(たと)えるなら、ジーキル博士とハイド氏のよう。ハイド氏の時は、ジーキル博士の苦悩を忘れられる。私も踊っている間だけは、別の私になり、悲しい気持ちを忘れられる。踊り続け、廻り続け、そうして気が付けば、夜の帳が降りている。別に構わない。元から観客などいないのだから。自由に踊り続ければ良いのだ。やがて疲れ果て、眠りに落ちるまで。
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