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行きつけの飲み屋の店先にかかっている暖簾が、これまでとはまったくの別物になっていた。
山吹色に黒文字で店名の書かれた、明るいけれど落ち着いた印象の暖簾が、何故か店の名前一つない真っ黒な物になっている。
イメージチェンジにしても、黒が合うような店じゃないと思うのだが。
色の選択に戸惑いながらも、引き戸を開けて暖簾をくぐった瞬間、店内の、あまりにいつもと違う雰囲気に、俺はその場で固まった。
店の中が暗い。明かりは確かについているのに、どういう訳かまとわりつくような暗さを感じる。
その薄暗い店の中には何人か客がいるが、毎晩のように通っているのに、見たことのない顔ばかりだ。
ここは本当にいつもの店か?
もしや別の店へ来てしまったのではと、ひたすら戸惑う俺の目に、唯一見慣れた女将の顔が映った。
「あらぁ。もうこんな時間だから、今夜はおいでにならないと思って、暖簾、変えちゃってたわ。ちょっと店の外に出て下さいね。すぐについものに付け替えますから」
言われるまま外に出ると、女将がてきぱきと暖簾を取り換えた。その上で俺を店の中へと招く。
そこにいつも通りの店内の光景があった。
遅い時間というだけあって客の姿はないが、お得意様ですからと、カウンター向こうで女将がニコニコと笑いかけてくれる。
いつもなら、まずはビールを頼みつつ席に座るのだが、すっかり寄っていく気持ちが薄れ、俺は女将に、今夜は出直すと告げて店を後にした。
帰り道で、先刻の出来事を思い返す。
暖簾が変わっただけで店内の雰囲気が一変したが、いったい何が起きたのだろう。
明日、女将に聞けば、あれが何だったのか教えてもらえるだろうか。…いや、あそこは毎晩足を向ける程のお気に入りの店だから、これからも楽しく通うために、あえて質問はしない方がいいだろう。
飲み屋の暖簾…完
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