苦い水

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寝る時は、真っ暗闇でないと眠れない。遮光カーテンで一切の光も遮断し、泉水は深い眠りにつく。 ふと、一昨日のワタルとの情事を思い出す。 受け入れてしまったのに、まだ心が乱れる。 熱い肌をたっぷり堪能し、自分を愛してくれる可愛い瞳を見つめながら、まだ諦められない愛おしいものが別に見えてしまう。 私は最低だ。 ずるい男だ。 ワタルの愛情を裏切ってはいけない。 傷つけてはいけない。 そう言い聞かせて目を瞑った。 翌朝、家政婦の田中さんに起こされて泉水は目を覚ました。 「珍しいですね。坊ちゃんが寝起きが悪いなんて」 楽しそうに笑う田中さん。 一番母親のように自分に接してくれた。 授業参観も、運動会も、毎日のお弁当も、全て田中さんにしてもらっていた。 母親の顔なんて、写真でもみなければ分かりません。 そんな環境の中に育った泉水が、何故愛情を男に求めるのかは一目瞭然だった。 求めても愛情をくれなかった母への憎しみから泉水は女を信用していない。 しかし一度も与えてもらえなかった母乳に対しては思うところがあった。 赤ん坊の頃に与えてもらえなかった乳首。 乳首を吸うだけで無意識に落ち着く。 そのせいか相手の乳首を執拗に泉水は求める。乳房の膨らみに一切の興味はない。 理も将も、泉水が乳首を吸うことに快楽は感じていても、まさかそんな思いがあったことなどは知る由もなかった。 「コーヒーとお紅茶、どちらに致しますか?」 田中さんは両方を泉水に見せる。 「濃いめのコーヒーにして。まだ目が覚めないんだ」 田中さんは笑顔で頷いた。 ダイニングテーブルに着くと、カリカリに焼いたベーコンとほうれん草のサラダに、エッグスタンドに乗っている半熟卵。泉水の好物のボストンクラムチャウダーが用意されていた。 濃いめのコーヒーをフーフーしながら啜ると、少しずつ目が冴えてきた。 夕飯は毎晩外食なので、朝食後にはサプリメントが用意されている。 「お夕飯もご自宅でお取りくださいませ。坊ちゃん最近、少しおやつれになりましたよ」 心配する田中さん。 「ごめんね。仕事が忙しくてさ。せっかくの夕飯を食べずに捨てるんじゃ田中さんに申し訳ないし」 泉水は田中さんには弱いのだ。がっかりさせたくない。 「分かりましたよ。でもちゃんと栄養のあるもの召し上がってくださいね」 「分かったよ。いつもありがとうね」 坊ちゃんであり、息子のような泉水に田中さんも結局は甘かったのであった。 食事を終えて身支度をすると、迎えの車が来るまでスマホをチェックしていた。 ワタルからおはようメールが来ていた。 【泉水さん、おはよう(ハート)昨日の夜は福岡の屋台に行ってきたよ。楽しかったけど、いつか泉水さんと二人で行きたいな(ハート)】 屋台を堪能してる写メまで添付されていた。 【おはよう。屋台の料理美味しそうだね。でも私はワタルが早く食べたい。仕事頑張ってね】 送信すると、泉水はフッと笑った。こうやってワタルに愛情を示さなければ、自分の気持ちが他を向いてしまうのが泉水は怖かった。 直ぐにまたメールが来た。 【この間の夜のこと思い出しちゃった。僕も早くまたたっぷり泉水さんに食べられたい(ハート)明日の夜には東京戻るけど、次会えそうな夜が分かったらすぐに連絡します(キス)泉水さんもお仕事頑張ってね(ファイト)】 絵文字入りのワタルのメールの返事が可愛いと思った。 あー、次はワタルのヌードでも写真に撮っておくか。 朝からバカなことを考えていると、田中さんが迎えの車が到着したと伝えに来て、泉水は慌ててスマホをスーツのポケットにしまった。 オフィスに着くと、流星を先頭に秘書達の挨拶から始まる。 泉水の部屋に流星がやって来ると今日のスケジュールを報告する。 「本日は、丸葉銀行頭取との会食が13時から、夜は衆議院議員の当麻先生の政治資金パーティーがあります」 「頭取との食事は良いけど、当麻議員のは面倒だな。なんとかならない?」 泉水の言葉に流星は首を振る。 「当麻先生が、是非お会いしたいと申しておりました」 「それが面倒なんだよ。あの人後どれくらい政治家続けるつもり?調子に乗って娘と結婚してくれって言いそうでさ」 泉水の言い方に流星が笑う。その笑顔に泉水はキュンとしてしまった。 「社長は結婚に全く興味がないのですね」 「あ、ああ。流星だって、もう30でしょ。結婚は?彼女いたっけ?」 今までは聞きたくなくて、流星に彼女がいるかどうか泉水は聞いたこともなかった。 「残念ながら社長の秘書になってからはおりませんね。仙台の時はおりましたが、東京に来るときに別れました」 もう二年も彼女がいないと知り、泉水は気になることがあるがそれは聞けなかった。 流石に欲求不満にならないかなど聞けるわけがない。 確かに私も二年恋人がいなかったが、流星はどうやって性的欲求を処理してるんだ。 悶々と想像しながら、泉水はまた自分が変態だと自己嫌悪になる。 「そういえば、ワタル君、あの後どうしてますかね。出演CMはまだ放映されてませんが。初めて芸能人を見て私も気になりました」 流星の口からワタルの名前が出て泉水はギクリとした。 まさかあの日から付き合い始めたとは言えない。 「さあ。人気のモデルだから忙しいだろうね。流星って、ワタル君がタイプとか言わないよね?」 泉水の言葉に、流星の目が点になった。 「やめてください。冗談きついです」 流星が大笑いをする。泉水はその笑顔に顔が引きつった。 「あ、失礼しました。笑いすぎました。すみません」 恐縮して流星は泉水の部屋を出て行った。 「はぁー。だよね。自分と同じかなんて、そんな風にすぐ結びつけるのはまずいな」 つい流星の反応が見たくて、バカなことを言ってしまったと泉水は思った。 ただ流星が、ワタルに興味を持っていないことに少しだけホッとした。
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