秘匿の水

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真幸は新しいマンションに移り住んでからは、ほぼ毎日のように女を抱いていた。 いっとき女に対して勃起しなかったのが嘘のように、女の身体を貪り続けていた。 工はその様子をいつもドアを隔てて聞いていた。 真幸がまた何かのきっかけで命を絶つのではと心配で、昼間は自分が動ける様に他の組員が真幸の側にいるが、夜は真幸に付きっ切りで側に付いていた。 事が済むと、女はシャワーを浴びて帰っていくが、工は真幸が寝るまで神経が休まらなかった。 そこまでして真幸を守るのは、忠誠心以上の感情だと自分でももう分かっていたが、決して表に出すことはなかった。 「毎晩、ご苦労な事だね。女の喘ぎ声じゃ、ココも勃たねーか」 バスローブ姿で部屋から出てきた真幸は、ドアの前に立つ工の股間をギュッと握った。工が顔色も変えず真幸の事も見ない。 真幸はシャワーを浴びると、しばらくしてリビングに戻ってきた。 ソファに座ると、工に水割りの支度をさせる。 「今夜は付き合えよ」 グラスをもう一つ持ってくる様に真幸は促す。 「いえ。俺は頭を守るためにここにいるだけです。空気だと思ってください」 床に正座して工は応える。 「真面目かよ。これを気にしてるんだろ?」 真幸が工に左手首の傷を見せる。 「死ななくてホッとしてるか?死んだら側にいたはずのお前のせいになるもんな」 真幸はフッと工に微笑む。 「この傷、舐めてくれよ」 工は両手で真幸の左腕を支えると、真幸の傷に舌を這わして舐め始めた。 工の舌を真幸は見つめる。 「厭らしい舌だよな。その舌で俺を舐めたんだよな。お前、俺で何回抜いたことある?」 工は舐めるのをやめて真幸を見つめる。 「ないです。頭に対して、そんな事できません」 工は嘘を付いた。 「嘘つき」 真幸の声に工は返事をしない。 「初めて俺をしゃぶった時、勃起してたんだろ?少なくともその時は抜いたよな?」 「いいえ」 真幸は工の首に両手を当てグッと力を込める。 「言えよ!俺とヤりたいって!俺を犯したいって!」 工は真幸の両手首を握って首から外す。力ではどうやっても工が上だ。 「犯されたいんですか?それでその傷の事を忘れてくれるんですか?頭がそれで楽になるなら犯しますよ」 工が真幸をソファに押し倒し組み敷くと、真幸は力では抵抗できずに動けなくなった。バスローブの前がはだけて、太ももの奥のモノが見えそうになって工はその場所から目をそらした。 「忘れられるわけがない。あなたが愛しているのは椎野疾風だ。俺に犯されて穢れたからといって、椎野を忘れられるわけがない!俺を利用するのは構いません。だが、俺はあなたを抱かない!」 工はそう言うと真幸から離れた。 「この件は俺がしっかりカタつけます。頭を傷つけた奴を俺は許さない。償いを必ずさせますから」 ソファの上に横たわり真幸は呆然としている。 力で工に勝てないと分かっているが、工がなぜこれほどまでに自分に対してストイックなのかが理解できない。 「お前の俺に対する忠誠心って何?そこまでして、俺に従順なのはなぜだ?俺のせいで、命だって落としかけているのに」 真幸の問いに工は微笑む。真幸はその微笑みにドキリとする。 「俺の贖罪です。頭を守る事が、俺が守る事が出来なかった人に対する贖罪なんです」 「ムショに入った原因か?」 その問いに工はただ微笑むだけで何も言わない。 「……ばぁーか。肝心な事はだんまりかよ。お前なんかうんこだ」 真幸は起き上がると、工に作らせた水割りを一気に飲んだ。 しばらくして真幸が眠ると、工はメールを開いた。 田所をずっと張っていて、ルーティンが分かったと言う連絡だった。 【了解しました。決行は明日。田所は俺が殺るので、後始末お願いします】 工は返事を返すと鋭い目付きになる。 もう血塗られた自分の希望は真幸だけだった。 覚せい剤取締法違反の罪で警察を退職した田所は、執行猶予の判決後、実家で仕事もせずに生活をしていた。 毎日近所のレンタル屋に出かけては家に帰ると言うルーティンだった。 ナンバープレートを隠したバンが歩いていた田所の隣に横付けした瞬間、田所はバンの中に引っ張られた。 その間あまりにも素早く、しかも真昼だったにも関わらず、人気のない高級住宅街だったせいか通行人さえいなかった。 田所はあっという間に口にガムテープをされ手足を縛られる。 全てが手際が良かった。 高速を乗りどこまで車を走らせたのか田所には分からなかった。 車が停まると助手席にいた工が振り返り田所を見る。 「椎野疾風を警察にリークしたのはお前だな」 工の言葉に、恐怖に震える田所は首を振る。 五島組の子分が口のガムテープを乱暴に外す。 「イテッ!俺じゃない!そんな写真、俺は何も知らない!」 田所の言葉に工は睨む。 「俺は写真だなんて言ってないぜ。リークしたのはお前かと聞いただけだ」 工の言葉に田所はしまったと真っ青になる。 「後ろめたい奴は、余計なことまでペラペラ喋るもんだな」 工が田所に銃口を向ける。 「俺が悪いわけじゃない!助けてくれ!椎野が、奴が、美味しいところばかり持っていくからだ!」 命乞いが無駄なことも気づかないうちに、田所の額に工は躊躇なく引き金を引いた。 そのあまりにも淡々とした冷徹さに、五島組の子分達は工を見つめ息を飲んだ。 「すみませんが、では後始末、よろしくお願いします」 工は何もなかったように、正面に向き直った。 その事は直ぐに五島から真幸に連絡が入った。 『まったく、俺の子分達まで震え上がってたぞ。恵比寿の逆鱗に触れた原因はなんなんだ?』 面白そうに五島は言う。まさか工が自分の為に手を汚してまで、疾風を陥れた男を始末したとは聞くまで何も知らなかった。 「さあ、俺も五島さんから聞くまで知りませんでしたよ。あとでたっぷり聞き出しておきます。しかし工の恐ろしさは、五島組の奴らならもうとっくに知ってるでしょ?」 真幸はそう言うと、部屋の外にいる工の方を向く。真幸のためならなんでもする工に更に信頼を寄せた。
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