未来の僕へ

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未来の僕へ

 初めまして。高校3年生、5月の誕生日で18歳を迎えた過去の僕です。この手紙を読んだ未来の僕はどんな仕事に就いているでしょうか。  高校3年に上がって迎えた6月26日、甲子園予選の地方大会1回戦でうちの野球部はコールド負けし、僕は野球部を引退しました。2年の時は3回戦まで勝ち上がれましたが、初戦から私立で全国から野球の巧い子を集めてくる強豪校と対戦することになってしまい、一介の公立高校でしかない僕達のチームは成す術無く破れてしまいました。  同い年のKKコンビは3年生になった今年の夏もきっと甲子園を騒がせるでしょう。そんな華やかな大舞台の裏側で、僕達のように同じ夢を追い掛けた高校球児達が何万人も居て、世間から注目を浴びることなく、グラウンドから去って行きます。  引退した翌日に入った予備校での出来事です。初めて出会った予備校の先生から「未来の自分に手紙を書け」と薦められ、こうして筆を執ることになりました。  僕はこれから1年間、大学受験を控えて必死に勉強していくことになります。人によっては1年生の時から大学受験に向けて勉強を積み重ねている人も多いことを先生から聞かされました。  先生は、「この1年、どれだけ勉強したかで君の人生が決まる」と言いました。  先生は東大出身ですが、受験戦争を必ずしも肯定しているわけではないと仰っています。  学びたいものがあるから行くと云うのが大学と云う存在でした。ところが、企業の学歴信仰から猫も杓子も大卒の人材を求めるようになり、大学のレジャーランド化、就職予備校化が進んでしまったそうです。  しかし、学歴社会を批判するのは、身体の小さなカブトムシの成虫が「幼虫の時に食べた腐葉土の差で決まるのはおかしい」と主張して、身体の大きなカブトムシの雄に抗議するようなものだと先生は言いました。カブトムシの世界なら、大きなカブトムシから角の一撃を貰って木から転落し、樹液も飲めず、雌とも交尾出来ずに、虚しく生涯を終えるだけでしょう。  世の中のおかしい所、間違っている所、それらを指摘するなら誰にでも出来ると先生は言います。テレビや新聞を見れば、世の中のおかしい点や政治や社会の間違っている部分を余すところなく指摘しています。  ですが、マスコミと一緒になって文句を言っていても仕方が無い。先生はそう仰います。  「愚痴」や「言い訳」は何故怖いのか?  先生は「論理的には間違っていないからだ」と教えてくれました。  清原や桑田が活躍している裏で、何万人もの高校生達が涙を流しているんだと言って、スポーツは残酷だとか、部活動なんて無意味だとか言ったって、周りは愚痴や言い訳をこぼしているだけの落ちこぼれとしか思わない。  学歴社会はおかしいと批難したところで、企業は大卒と云う採用基準を緩和してくれるわけではありません。医師免許や弁護士、一級建築士の資格が欲しければ医学部や法学部、工学部の建築学科などの修了が必要で、その学歴が無ければ受験する資格さら得られないケースも少なくありません。  これらに対しての批判や指摘は確かに論理的には間違っていないかもしれない。しかし、論理的に間違っていないからこそ、世の中に文句を言ったり、言い訳したりして、どんどん自分からは努力しなくなっていくし、努力出来なくなっていく。愚痴や言い訳を言う時間だけ、人は確実に年を取っていくし、可能性は失われていく。  先生は「浪人なんかするな。現役で精一杯勉強を頑張って、18から22歳の現役で大学は卒業しろ」と仰います。  人は必ず死にます。そしていつ死ぬかは分からない。  もし19歳で交通事故で死ぬとしたら、浪人生なら「無職」と報道されるが、大学に進んでいれば「大学生」として報道されます。 「どっちが良い? この1年、どれだけ勉強したかで君の人生が決まるよ」  僕の未来はどうなっているかは分かりません。  ですが、振り返った時に、 「過去の僕は、確かに未来の僕のために頑張った」  そう言い切れる過去の自分でありたいと思って、これから日々勉強していきます。     昭和60年6月27日 自宅にて                    過去の僕 佐藤賢一より
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