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一夜明ければ、昨晩の情事も夢の微睡み。眩しい朝日に布団から這い出て、肌寒さから適当に拾い上げた着物は同衾している女の物。派手やかなそれを気にもせず羽織り、井槌洋之助は窓際から階下の通りを見下ろした。
別れを惜しむ男女。早朝から忙しそうな小僧達、お使い途中らしき禿。何とも遊郭らしい光景である。
角屋。――島原の中でも特に格の高いこの遊郭の二階に、井槌洋之助はいた。まとまった金が入ったので、ならば我ら憂国の志士も休息は必要であろう・・・と諸先輩方に引っ張って来られたのだ。今頃彼等は別の部屋で惰眠を貪っている頃だろう。
憂国の志士などとは、よくぞ言えたものである。
――「天誅」、「天誅」!
その言葉を大義名分に、地位ある者から、鼻に付く学者、果ては政治に関係無い筈の町人に至るまで斬り捨てて、遺体は鴨川にさらし首にされる世の中である。
井槌の先輩方――ただたんに先に京入りしていたというだけで彼等は先輩風を吹かせる――も、喧々囂々、浪士仲間と譲位を議論しながら、普段は「親幕派」だ、「奸物だ」とそこらの商屋に難癖つけて金品を脅し取り、女を暗がりに引きずり込み、身成りの良い武士を数人がかりで取り囲んだ事だってあった。
開国以降、京の治安の悪さは語るまでもないが、己等のやっている事は志士のそれではなく、ただの荒くれ者である。
そんな現状に、腐った溜息を吐きながら・・・それでもただの脱藩浪士に行く当ても頼る当てもある筈がなく、なあなあで先輩方に流されているのが井槌の現状だ。
井槌自身、故郷での下士に対する差別的扱いに我慢できず脱藩したというだけで、大した思想をもっているわけでもなし、そこのところ先輩方と人間性に大差が無い。
「旦那はん」
昨晩の敵娼が、井槌の体にしな垂れかかる。自分が女の着物を羽織っている為、触れる肌はむきだしだ。井槌の着物でも羽織ればよかろうに・・・と思いながら、褪せて解れた、継ぎ接ぎだらけの己の着物を視界の端で見た。浪士達の大半は、その懐がさもしい。たまに今回のように纏まった金が手に入っても使い道は女か酒か賭博だ。身だしなみなど二の次三の次である。
夜は愛を囁く女達が、井槌のような田舎の素浪人を――臭いだ、乱暴だ、浅葱裏だと裏で馬鹿にしている事ぐらい、知っている。女はしな垂れるように見せかけて、井槌が羽織る己の着物をそれとなく引き剥がそうとしているだけだ。
「何を見てはりますの?」
焦れた色を隠しながら、女は問うた。何を見ようとして見ていたわけではないが・・・ふと、井槌はそれが目に入った。意識せず、ぽつりと呟く。
「日傘だ―――」
丁度階下の通りをしゃなりしゃなりと歩く一行がいる。遊女らしき華やかな衣装の女が、禿を脇に伴い、小僧に日傘をささせている。遊女の陽に焼ける事を知らない真っ白な肌は眩くて、故郷に置いてきた妹や、記憶の中の母とは雲泥の違いである。
美しい女だ、と思った。
着物は派手やかな牡丹の刺繍、揺れる簪。ぴんと伸びた背にまっすぐな眼差し。日傘の影がかかって、その顔に何とも言えない憂いと婀娜っぽさを感じる。
「和泉屋の茜さんやねぇ。こんな時間に一人でいはる、いう事は昨晩は茶を挽いてはったんやろかか・・・珍しい」
茜、というのが遊女の名前らしい。禿も小僧も付き従う彼女を『一人』と言ったのは、お相手の男が見当たらなかったからだろう。『茶を挽く』とは客の取れなかった遊女に対する嫌味だ。そこに僅かな優越感を感じて、井槌は隠さず舌打ちした。
茜は真っ赤な日傘を頭上に、しゃなりしゃなりと路地の向こうへ消えていく。
「日傘・・・」
「何やの、旦那はん。茜さんより日傘が気になりはりますん?
別に珍しいもんでもあらしまへんよ?」
まあ・・・うちごときやと、傘をお供に持たせてなんて、ようできまへんけど。――と女は自虐的に笑った。
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