井槌洋之助という男。

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 井槌洋之助の、日傘への一種異様な思い入れが始まったのはいつからだったか。土佐藩は他藩に比べて武士の上下関係が厳しく、上士と下士に別れて、身につけるものから言葉使いまで細かに定められていた。日傘もその一つである  井槌は下士の出だ。下士は日傘を持つことが許されておらず、であるが故に下士と上士はその肌の色だけで一目瞭然だった。  日傘とは、井槌にとって解りやすい、差別の象徴である。  まだ物の分別も無い幼少の頃、大きな蓮の葉をお遊びで「日傘ァ、日傘ァ」と上に掲げて遊んでいたら、「痴れ者め!」と、通りがかった上士の男に殴り飛ばされ、挙げ句両親を往来に呼び出されて叱責された事がある。  道場の師範代だった友が、鍛錬で叩きのめした上士の息子に逆恨みされ、雇われた荒くれ者達に、取り囲まれ斬り殺された。その息子はいつも道場に通ってくる時、供の者にこれ見よがしに藍色の鮮やかな日傘をささせていた。友が斬り殺された時も、日傘の下でのんべんだらりと見物していたという。  母が死んだ時、診せた医師は日の光の病だと言った。日に当たり過ぎると目眩や吐き気がし、最後には意識が混濁して死んでしまうのだと。  母は苦しい家計の中で、何とか妹の嫁入り道具を揃えようと親類縁者の家を巡り、頭を下げて借金を頼み込んでいたようである。その道中に倒れた。  医師の話を聞いて、井槌が思い出したのも日傘だ。  日傘は井槌にとって権力の証であると同時に、“許される者”の持ち物であり、時に手の届く距離にありながら決して触れる事のかなわぬ理不尽たる存在でもあった。
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