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――そうして、暗殺は失敗に終わる
件の植木屋に忍び込んだ井槌含む四人の刺客は、庭先でやつれ果てた青年を見つけて・・・いざやと鯉口を切った瞬間――にゃーお。と、酷く場違いな鳴き声が聞こえた。この家で飼われているのだろう黒猫が一匹、井槌達が身を潜める庭木に向って鳴いている。――にゃーお、にゃお、にゃーお。
「何者かっ!」
青年の鋭い誰何の声に、井槌達は即座にその場を逃げ出した。
侵入者にようやく気づいたのだろう、青年の護衛が抜刀して飛びかかってくる。こうなれば井槌達も応戦するより無い。
一合、二合、斬り合って、その間にも味方の数は減っていく。辺りはあっという間に血なまぐさくなって・・・・気が付けば、新撰組幹部の暗殺を企てた者の中では井槌一人だけが立っていた。
井槌は舌打ちした。すでに周りは幹部の護衛であろう新撰組の隊士に囲まれている。数は五。井槌の腕を持ってしてもやや厳しい。
井槌洋之助はこんな所で死ぬつもりは無かった。全く無かった。
例え生き恥をさらそうとも、この場から逃げ出してみせるつもりだった。
だから、囲む五人の内最も構えが拙い男に向けて、鋭く叫ぶと同時に一気に肉薄した。
「・・・ひ」
案の定だ。男は腰が引けてしまっている。現実の殺し合いにおいては勢いがある方が勝つ。相手を圧倒してしまえば、あとは斬って一点突破。
そのまま逃げ延びれる筈だった。
刀を斬り降ろす寸前・・・男と井槌の前に、何かが割り入った。ぱっと開いた江戸茶色。放射線に伸びる骨の筋。それが眼に飛び込んだ瞬間、井槌は意識せずたたらを踏んだ。
―――傘だ・・・日傘だ・・・。
「―――覚悟っ!」
鋭い突きが、背後から井槌の胸を貫いた。
内臓をやられたらしく、ごぷりと血の塊がせり上がってくる。
だが、井槌は背後の敵を振り返られない。ただまっすぐ。まっすぐ目の前に転がる傘を見つめる。その傘の向こうから、先程井槌が斬り損ねた男がおそるおそると無事な顔をのぞかせた。
傘・・・日傘・・・
それはいつだって、誰かの頭上にあって、理不尽の象徴だった。
井槌の劣等感に対極するようにそこにあった。
手に届く位置にありながら・・・しかして決して、井槌の頭上では開かなかったそれ。
胸から刃が抜かれる。感覚はすでにない。只―――衝動のような熱だけが、胸にあった。
ふらり、ふら・・と井槌の足が覚束ないままに、進む。
一歩、一歩。
また背後から斬られた。袈裟斬り一閃。肉を裂き、血をまき散らす、聞くに堪えない音。
「・・・・さ」
井槌の足下に、日傘が転がっていた。
ようやく構えたままの刀を、井槌は振り下ろした。
「―――――日傘ァ!!」
それが、土佐藩脱藩浪士井槌洋之助の最期の叫びだった。
更に一太刀、二太刀、体に浴びて―――けれども井槌は真っ二つに裂かれた日傘に満足げに笑う。
笑ったまま、もんどり打って地面に倒れた。
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