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菊池さんや母さんに見つかったらいけないと思い、捨てようとして……でもなぜか捨てられなかった『Jazz Bar sax』の半券。
小柳紫音と小柳葉音。
電話での雰囲気から、紫音さんのあの甘いサックスの音色は、通話相手へ捧げられていると思ったのに、それは俺の勘違いだったよう。
――『妹だよ』
そう考えてみると、2人はよく似ている。
“音”という字をもつ名前だけではなく、好奇心いっぱいの栗色の目と、誰にも縛られない自由な価値観。
どうすれば人を惹き付けられるのか。
自分の魅力はどこなのかを悟ってるその姿は、俺とは正反対で。
とても自由で。
「……嫌いなのは、君のことじゃないんだ」
『ハノン』が嫌いだといった俺に振りあげられた拳。
彼女の鋭く尖った爪先の装飾が店内のライトに反射して、七色に輝いていたのを鮮明に覚えている。
放たれる凄まじい“怒り”に為す術がなく、ただ呆然と、彼女の拳を見つめることしかできなかった。
――やっぱりこの半券は捨てられそうにない。
俺は床に散らばる譜面と譜面の間に“あの夜”を挟み込んで、ピアノ室をあとにした。
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