履けない

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履けない

 夢を見ていたのかもしれない。長くてあまりよくない夢を。けれど、なんだか透き通って綺麗な夢だった気もする。  一日の始まる澄んだ雰囲気、その朝の爽やかさを憂鬱に思い始めたのはいつだったろうか。  朝の学校で私がはじめにするのは上履き探し。まわりで明るい声が飛び交うなか、今日はどこのゴミ箱だろう、中庭の池かもしれない、またトイレだったらいやだな、と私は思う。  そうしていつものように空っぽの下駄箱を覗くと、物陰から笑い声がする。困っている私をみて楽しんでいるんだ。私が絶対に仲間に入れてもらえない人たち。そっちをみることさえ私にはできない。面と向かって文句を言うような勇気なんて私にはないのだった。  夢はプツリと途切れる。  今朝も目覚ましが鳴った。  小学校に入学した時にお父さんとお母さんと一緒に買ったアナログ時計。その頃、大好きだったテレビアニメのキャラクターが描かれている。今では朝をうるさく伝えに来るそのキャラクターが憎くて仕方がない。  重い手を時計に乗せようとすると、先にお母さんの手が目覚ましを止めた。  早く起きてごはん食べなさい。  いつものように朝の冷たい空気みたいな口調でそういわれる、と思った。  けれどお母さんは、時計に乗った手をそのまま腕枕にして私のベッドに顔を埋めた。直ぐに寝息が聞こえてきた。 「お母さん何してるの? 朝だよ」  声をかけるが全く動こうとしない。  しょうがないから私はのそのそと学校へ行く支度をはじめる。  家中が静か。お父さんはもう出かけちゃったみたい。お母さんはあんなだし今日は朝ごはん抜きだな。  でも不思議といつもみたいにお腹は空いていない。朝ごはんを食べる時間だけ早く学校に着くから、もしかするとまだ上履きがあるかもしれない。そんなことを考えた。 「いってきます」  声は届いているはずだけど、いってらっしゃいの返事はなかった。まだ寝てるのかな、ちょっと寂しい。  朝ごはんのぶん軽くなった足取りはいつもと違った気分で学校を目指す。何が変わったわけでもないはずなのに。  空には雲一つなく、陽が家々に長い影を落としていた。朝日は私を通過し染み渡る。  学校には人気が全然なかった。少し早く来すぎたのかもしれない。明るい声は飛び交わず。下駄箱を開け閉めする音もない。  誰にもみられずに下駄箱を開けるのはいつぶりだろう。こんなことに幸せを感じる自分が少し切ない。  静かな昇降口に私が扉を開ける音だけが響いた。中には何も入っていなかった。いつもと同じ空っぽの下駄箱。こんなに早く来たのに。  けれど今日は暗い気持ちにはならない。周りから明るい声がしないからだろうか、からかう声がしないからだろうか。  上履きが隠された場所を、まるで小さな宝物を探すような気分で考えた。  靴を履いていない足は軽く、陽の差す階段を一つ飛ばしでかけ上がる。いい気持ち。  無くなった上履きのことなんか忘れてこのまま屋上までいって朝を感じたい。まるでそこに引き寄せられるようにそう思った。  それからだって靴は探せる。  扉を抜けて屋上へと出た。何も影を落とすことのない場所で朝を感じた。    端の方に靴があった。丁寧に揃えられていた。きっと私の上履きだ。今日は運がいい。  私は走り出す。朝の冷たい空気が身体を通り抜ける。靴には紙が挟まっていた。いつもからかっている子たちからだろうか。  そう思う私に影はなかった。
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