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次の日の朝、洗面所で引き出しを開けた。大きいサイズの部屋着を出すかどうか。 英司が泊まる時のために買った物だった。 キシが自分で探して着ていたのはサイズが合っていなくて、昨日から頭の隅で考えていたが、実際に服を見ると、手が止まった。 やっぱりやめようと思ったところにキシが入ってきて、タオルの上の歯ブラシを手に取りながら、 「大きいやつ、着ていいの?」 と言った。 鏡の中で目が合った。キシは笑顔だった。 「もし着ていいなら、それ着る」 「じゃ出しとく」 僕は服を引っ張り出し、棚の上に置いた。 「サイズまでいつ見た」 「最初に全部見たよ。というか、明らかにそこだけ別のコーナーになってる」 歯ブラシを口に突っ込んだキシともう一度目が合ったが、何も言わずにリビングに戻った。しばらくしてから、 「ほんとに着ていいの」 と洗面所から声がした 「ああ」 キシが深刻に取るとは思っていなかったが、どうも変な感じだ。 ぼんやりしているうちに、後ろから抱きつかれた。僕を捕まえた腕を(英司が着ていたグレーのスウェットの袖を)掴んだ。 「キシさん」 「うん」 「僕も付き合った人がいてさ」 「これ着てた人?」 殊更明るい声だ。やっぱり間違いだったと思ったものの、この服を出さなければ出さないで、何か言われたに違いない。 「思い出してる?」 「服出さなきゃ良かったと思ってる」 「俺が、着るって言ったからね」 キシは腕に力を込めた。 「好きだった?」 英司は一度だけ、キシをずっと忘れないつもりかと口に出して聞いたことがある。 今キシがしているように、後ろから僕を抱きしめながら。馴染みのない街の寂しい夕暮れを見ながら。 僕は、その時の英司の声を時々頭の中で聞くことがあった。 「かなり前に別れた。もう会わない」 キシは無言のまま、僕の首筋に唇をあてた後、いきなり噛んだ。 振り返る間も無く、そのまま肩に歯と舌があたり、きつく吸われた。声が出そうになるのを我慢していると、やがて唇が離れ、 「上野」 と右耳に囁かれた。火花が散るように、脚の方まで何かが走った。 「お前こそ、何もわかってない」 キシは僕を離さず、同じ場所にもう一度唇を押し付けた。 キスマークを付けたがる奴はたいてい付けるのが下手だが、キシのやり方は確実に跡がつくだろう。そして気持ちよかった。 腕の力が緩んだので、肘で体を押しのけた。 「いてえよ」 向かい合ったキシは、 「痛くしたんだよ」 と言い、僕の頭を抱えるようにして、抱きしめた。何か言おうと息を吸うと、腕に力が入るので、言わなかった。背中に回した手のひらで、キシの首の後ろを撫でながら、目を閉じて温かいその体を感じていると、うっすらと湧き上がる欲情と、それとは別の何かが、さざなみのように広がり、触れ合っているところから彼に伝わるような気がした。 「他の人の話は、キシさんが言い出したんだよ」 「うん」 キシはようやく体を離して、僕の肩のあたりを見てから、指先で円を描くように触れた。首を捻じ曲げたが、見えない場所だった。 「アナタのことをどうこう思うわけじゃない。自分がいろいろ苦しいだけで」 キシは穏やかな声で言いながら、その場所を自分の手で覆った。
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