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§
「それでは、方法は『軛落とし』でよろしいですかな?」
「異議なし」
協議の結果、精神病棟の職員『宮下』は始末されることとなった。
見返りは宮下を殺すまで定期的に届けられるリンゴジュースのみ。これでは報酬はゼロに等しく、施設内部の殺しというリスクの高い特殊な依頼であることから慎重論もあったが、女性である『鵺』の要望が強かった。彼女は「金よりも、目に見えないものを大切にしてこその仁義だろうが」と息巻いた。
時刻は2時50分――そろそろお開きの時間だ。
宵闇のなか、老人はひっそりと語り始めた。彼の一人語りは会の終了の儀式だ。
「生まれながらの悪人なんぞ、居やしませんよ。何故って? 赤ちゃんは皆、天使のような優しさで生まれてくるではないですか」
それは、彼の殺しの哲学だった。
「ですから私たちは、泣きながら殺しましょう。嫌だと思って殺すのは、人間だけです。だとすればそれだけが、世間から異常者であるかのように排斥された私たちを、人間に戻してくれる唯一の方法……」
彼はろうそくの灯りも届かぬ、暗い闇を見つめて言った。
「ですが、本当におかしいのは私たちでしょうか。それとも――――」
――――おや?
老人は眉をひそめた。廊下の奥で、足音が聞こえる。
今夜の夜勤当番は佐倉だったはずだ。真面目な彼女がこのような横着をするとは考え難いが……。
「『元締め』?」
『錦』がいぶかし気に老人の顔を覗き込む。この異常にまだ気がついていないとは、この男もまだまだよの、と老人は若輩の未熟さを嘆いたが、それはむしろ落胆というより愛情に近い感情だった。
「誰か、来たようだね」
3時より前の、早すぎる巡回だ。
老人はため息のように沈殿した吐息をろうそくに吹きかけた。
儚い命が尽きるそのように、ろうそくの火は小さく揺れて、消えた。
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