エピローグ

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エピローグ

 123便の垂直尾翼は、相模湾上空でおよそ七割が吹き飛んでおり、多くが相模湾に水没した。残骸が発見されないまま、一年半で調査は打ち切りになった。  二〇一五年八月十二日、テレビ朝日のニュースが、相模湾の海底で123便の残骸らしきものを発見したと報道した。  しかしその後、続報が報道されることはなく、このニュースは世間から忘れ去られた。  あれから四年をかけて準備をしてきた私は、静岡県東伊豆町の沖合約2.5km、123便の推定飛行ルートの真下に停泊している。  船上のモニターは、潜水艇に積んだカメラの映像を映している。  水泡の粒を上に上にと吹き上げながら、カメラは水深160メートルの海底に到達した。  (あぶく)がおさまるのをしばらく待ち、モニターに目を凝らすと、一片が1メートルほどの四角い金属が横たわっている。  数字らしき文字が書かれた金属の一部には、禿げかけてはいるが、水の中でもはっきりと判る、鮮やかなオレンジ色の塗料が付着していた。  そのとき、上空にごぉーっという音が近づき、見上げた遥か高い空を、ジャンボジェット機が遠ざかっていった。  仕事で取引先に向かう人、家族旅行、恋人に会いに行く人。  あのジェット機は、様々な人たちの想いを運んでいるのだろう。 三十四年前のあの日と、おなじように—— — 完 —
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