目撃者は語る

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目撃者は語る

 事故の当日から翌日未明にかけて、NHKや民放では、「墜落場所が特定できないため、救助に向かえない」と、繰り返し報道していた。  そして、自衛隊などがようやく救助に向かったのは、墜落から十時間後であった。  しかし米軍横田基地は、高浜機長が発したスコーク7700を即時にキャッチしており、横田基地に緊急着陸するように123便と交信をしていた。 そして高浜機長が機体を横田基地に向けていたことは、フライトレコーダーの飛行記録からも判明している。  ところが123便は、なぜか途中で行き先を御巣鷹山方面に変更し墜落した。  123便をレーダーで追跡していた米軍は、直ちに墜落場所に救助用ヘリを向かわせた。 このヘリのパイロットが、米海軍のアントヌッチ中尉だ。  救助用ヘリは墜落した123便の上空でホバリングし、サーチライトを照射した。 このホバリングの音を、生存者の落合由美氏は覚えていて、「すぐに助けが来てくれたと思った」と述べている。  落合氏の証言はこうだ。 「やがて真っ暗ななかに、ヘリコプターの音が聞こえました。あかりは見えないのですが、音ははっきり聴こえていました。それもすぐ近くです。これで、助かる、と私は夢中で右手を伸ばし、振りました。けれど、ヘリコプターはだんだん遠くへ行ってしまうんです。帰っちゃいやって、一生懸命手を振りました。『助けて』『だれか来て』と、声も出したと思います。ああ、帰っていく……」  米軍のヘリは基地に帰還し、524名はその後およそ十時間以上、放置された。  このときの様子を、元米海軍中尉アントヌッチ氏が退役後に告白しており、「救助用のロープを降ろす準備までしていたのだが、司令部から緊急帰還命令が発令されたために、止むを得ず基地に戻った。司令部は、日本の自衛隊が救助に向かっていると言っていた」と述べている。  基地に戻ったアントヌッチ氏は「このことは他言無用」と口止めされ、翌朝、墜落場所の特定に十時間を要したとの日本の報道を観て、目を疑ったとのことだ。  では、アントヌッチ証言に嘘がないと仮定した場合、日本政府や自衛隊は、十時間もの間いったい何をしていたのか。  これについては、御巣鷹山近隣住民のM氏が、驚くべき証言をしている。
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