炭化した遺体

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炭化した遺体

「身元確認のために遺体をそっと手で触ると、ボロボロと崩れてしまうので、どうしようかと思案しながら検死を行った」 これは検死医が語った言葉である。  これほどボロボロの遺体は、歯を含む骨まで完全に炭化した状態であり、灯油系のジェット燃料ケロシンでは、普通ここまで焼けることはないとの専門家の見解がある。  また別の解剖医は「通常の家屋火災現場の焼死体を、もう一度焼損したように見えた」と語っている。  何をすればこれほど、遺体が炭化するのか。 日航123便墜落事故を長年調査している青山透子氏が、自衛隊関係者、軍事評論家、大学研究者らに見解を求めた結果、ガソリンとタールを混ぜたゲル燃料が使われた可能性を指摘された。  ゲル燃料とは一般では入手できない軍用の武器で、陸上自衛隊普通科歩兵、化学防護武器隊が保有しており、相馬原(そうまがはら)普通科部隊でも保有している可能性が高い。  相馬原普通科部隊とは、群馬県北群馬郡榛東村(しんとうむら)に所在する部隊であり、墜落場所の御巣鷹山までは、およそ九十キロに駐屯している。  おそらく一時間もあれば、墜落現場に入ることが可能であっただろう。   ***  生存者の落合由美さんが、墜落後にヘリの音とライトに気づいたのは、墜落からおよそ二時間後の夜九時頃と思われる。  このとき落合さんは、他の生存者の声を多数聞いたと証言しているし、川上さんも同じような証言をしている。  そして地元のM氏らは、現場に到着した午前四時頃にも、四十名から五十名ほどの呻き声を聴いたと語った。  こうした証言から、墜落後、朝の四時頃までは数十名が生きて助けを待っていたと推測できる。しかもM氏が到着した時点で、すでに百名ほどの自衛隊員が現場に入っていた。  しかし、生存者は僅かに四名で、死亡者の遺体の多くは完全に炭化していた。    生存者四名はいずれも、最後部に近い座席におり、墜落の衝撃で寸断された機体後部が、斜面をおよそ三百メートル滑り落ち、多くの遺体とは、かなり離れた場所で発見されている。  もし、機体後部が寸断されずに、多くの犠牲者と同じ地点に留まっていたとしたら……
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