スコーク7700

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スコーク7700

 一九八五年八月十二日十八時五十六分。 羽田発大阪行きの日航123便は、群馬県御巣鷹山(おすたかやま)に墜落した。  乗員乗客あわせて524名のうち、生存者は僅かに4名。  世界の航空機事故史上、最悪の墜落事故だった。 ——墜落の四十四分前  十八時十二分に羽田空港を離陸した日航123便は、安定した状態で飛行していた。  機長の高浜は、元航空自衛隊のパイロットで、総飛行時間は12,423時間41分のベテランだ。  コクピットには、幾度かフライトを共にした副操縦士と機関士もいる。  順調に行けば一時間十分のフライトだ。高浜は安心して自動操縦に切り替えた。  しかし、機体が相模湾上空に差し掛かったとき、高浜は、機体に強い衝撃を感じた。  計器類は異常を告げ、アラームが鳴り響く。自身の身体に薄気味の悪い振動を感じる。  副操縦士と目を合わせた高浜は、迷わず、スコーク7700を発信した。
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