二週間ごとの逢瀬

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二週間ごとの逢瀬

ポツリポツリ…… 俯いた類の眼下には乾いたアスファルトに薄い墨が、段々とまるで水墨画のように描かれていた。しかし、時間が過ぎてれば、その水墨画もただのタールを塗りつぶしたものになっていった。 「俺、何やってるんだろ…… 」 濡れた髪を掻き上げ、類は立ち上がり角筈橋の高架下を覗き込んだ。 「何してるんだ!! 」 ***** 「類君、山下様がお見えになってるよ」 類こと柏木類は持ち前の惚れ惚れとするどこが品のある瓜ざね顔を持ち上げ、店長に答えた。 「はい。もう少しで終わります」 類は今の客のヘアアレンジのアドバイスをしながら楽しそうに客と話している。 その客が満足そうに店をあとにすると、次の客を椅子に案内し、ヘアカットやカラーの打ち合わせを始めた。腰のシザーの入ったポーチを違うシザーポーチに変えようとバックヤードへ向かった。案外美容師は腰に負担がかかるため、お客へのお茶出しをし、類はバックヤードに再び戻りポーチを腰にはめた。 シャンプーを終わらせカラーをし、いざシザーを入れようとした所、類は笹刃のシザーに手をかけようとするといつもと違和感を感じた。 商売道具のシザーが切れ味が悪いことに気づいた。類は道具の手入れは欠かしていない。 すると、大柄なドライバルのタトゥーの入った同僚の美容師が類の所へやってきて、類の耳元で囁いた。 「そのポーチの中に俺のシザー入ってねぇ? 」 「斉藤さん、シザーの手入れはしてくださいよ。間違って俺のポーチに入ってたんでしょう。気を付けてくださいね」 「ああ」 おっとりとしているが、諌めるような類の口調に斉藤は腑に落ちないような顔をして、担当の客のところへ戻って行った。 常日頃から、類はシザーの切れ味が悪くなったら自身で魂を込めて研いでいる。 それほどまでにこの業界、美容師としての誇りがあるのである。 スーッ、スーッ…… 客の希望だった毛量の調整を笹刄で梳いていく。滑らかで、毛先を痛めない技術を類は持っていた。 「柏木さんの髪を梳く音って綺麗よね。柏木さんも日本人形みたいな綺麗な顔立ちだし、でも薄い茶髪も似合ってるわ」 「ありがとうございます」 類は軽くお辞儀をしてカラーのリタッチに入った。その間にも客は次々とやってくる。 染色が終わり、シャンプー台へと客の手を誘って髪を洗っていく。 「熱くないですか? 」 「適温よ。気持ちいいわ」 その女性客は上場企業に務めるマネージャーらしく、類にことある事に客を紹介してくれた。 カラン…… 一際大きなベルの音がした。 その時、類の心臓は跳ね上がった。 シャンプー台から見渡せば、雑誌を読んでいる彼がいた。 胸の高まりを抑えて、シャンプーをゆすぎ、コンディショナーを付けた。綺麗に栗色の髪の毛を洗い流すと、客の頭にタオルを巻き、一声かけ椅子をスライドさせた。 手を取り再度椅子に座らせると、軽やかにドライヤーをかけていく。根元から丁寧に乾かしている。最後にスタイリングをするか、トリートメントをつけるか客に聞くと、夕方だったため、トリートメントになった。 お礼を言うと、次の客を案内しようと待合室まで行った。あの女性客の紹介で店に来るようになった彼だ。 東海林晃太郎……。 類にとって特別なお客様だ。 あの女性客の上司のようで、薦めでこの美容室に来るようになったようだ。今では1カ月に一度来る常連である。 後ろに流した濡羽色の黒髪、切れ長の男らしい美しい瞳、高い鼻梁と肉厚の唇。 デキる男とはこんな男なのだろうと世間が思っているだろう姿だった。 「いらっしゃいませ、東海林様。こちらにお掛けになってください」 「類君、いつもありがとう」 類よりも10cmほど身長の高い東海林は、軽く頭を下げ、椅子に座った。 「髪型どうされますか? 」 「いつもと同じでいい」 その言葉に類は承知いたしましたと言葉を返し、髪の毛の長さなどを確認した。そして、東海林を誘って、シャンプー台に座らせ、美しい黒髪を丁寧に、地肌を刺激しながら洗っていった。 タオルで髪を覆い、彼の髪についた水分を拭き取っていった。彼は気持ち良そさそうに、類にされるがままだ。 あらかた拭き終わると、カット用の椅子に案内し髪を丁寧にカットしていく。硬めの髪は艶やかで夢中になって切っていると、彼が言った。 「類君はなんで美容師になったんだ? 」 類は答えに窮しながらもこう答えた。 「手に職をってやつですかね?? 」 なるほどと言った顔で、東海林は少し笑った。そして、続けて言った。 「最近忙しくて、野菜たっぷりの家庭料理なんて食べてないな。太ったような気がするし」 「私でよければ作りますよ、まぁ冗談ですけど。太ったなんて滅相もないです。相変わらず鍛えてて羨ましいです」 類は冗談めかして東海林に軽口を言った。だが、手先の動きは止まらない。 「料理上手そうだね」 彼は言った。 「母から仕込まれて、料理は得意ですね。調味料もほとんどいらないですからね」 ふふっと花が綻んだような笑顔で類は言った。 「じゃあ、髪を乾かしますね」 類はドライヤーを持ち、彼の髪を猫を撫でるように乾かしていく。かたや、東海林も気持ちよさそうだ。 乾かすといつもの凛とした東海林の雰囲気が少し若く感じられた。といっても東海林はそんなに歳は上ではないのだが。 「スタイリングはどうしますか?」 類は東海林に聞いた。 「トリートメントだけでいいよ。相変わらず君は腕がいい」 リラックス効果のあるベルガモットの香りのするトリートメント剤を類は優しく揉み込んだ。 「ベルガモットか。いい香りだ」 類は客の雰囲気を見ていつも香りの違うトリートメント剤を使っている。それを東海林に指摘され、類は仕事モードを抜けそうになりつつ、平常心で言った。 「匂いって心を変えますからね。いつも気をつけいます」 「君を指名できて光栄だよ。じゃあまた二週間後に会おう」 そう言うと東海林はカット用の椅子から立ち上がり、類の髪を軽く撫で、会計へと向かった。 類は東海林に対する寂し差を若干感じながら、次の客への準備を始めた。ちらりと受付を見ると、カードで支払うパリッとしたスーツ姿の東海林がいた。 (東海林さん、いつみてもカッコイイ) 類は東海林の担当で良かったなと思った。
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