3、きみに届けたい歌と雨傘

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 シンガーソングライター、水無月(みなづき)(あらた)。  若者から絶大な人気を誇るアーティストから、セツナの事務所宛に除霊の依頼が届いたのは昨晩のことだった。正確には彼のマネージャーである鳥越という人物――現在、スーツでひどい汗を掻いている男性からである。  とにかく早急に連絡が欲しい、時間はいつでもいい。むしろ夜中の方が繋がりやすい。届いた書面にはそう書かれていた。なかなかに切羽詰まっている様子を見て取ったセツナが、深夜に鳥越に電話をかけてみると、彼はワンコールで電話に出た。  そうして、水無月が女の幽霊に憑りつかれているようだ、と告げたのだった。  翌日事務所を訪ねてきた鳥越はいかにも急いでいる様子だったが、当の水無月はどこ吹く風で「俺あんま寝てないんだよねー」と大あくびをしていたので、セツナはいささか拍子抜けした。幽霊のせいかと思いきや、睡眠時間を削ってゲームをしていたというのだから呆れたものだ。  有名であっても、テレビにはほとんど出てくることのないアーティストである。いかにも現代的ではあるが、音楽はダウンロードやストリーミングに移行しつつあるこの時代でも、発売されたアルバムはミリオンセラーに届く勢いで売れているという。もちろん、一曲一曲のダウンロード数も群を抜いている。私生活がどうであれ、実力に間違いはないのだろう。流行にさほど敏感ではないセツナでも、顔と名前は当然知っていた。  そんな人気絶頂のミュージシャンに、女の幽霊が憑りついているというのだから穏やかではない。  とは言え、あまり危機感を持っているようには見えない水無月から改めて話を聞いてみると、「憑りついている」というのは鳥越ら周囲の人間が言っているだけで、本人にその認識はないという。 「憑りつくっていうか、時々声が聞こえるんだよ。一人の時に」 「声、ですか?」 「そ。ミナ、って。女の声で呼ばれて振り返るんだけど、誰もいないの」  ミナというのは彼の愛称で、ファンが親しみを込めて呼び始めた名前だという。  心当たりはあるのかと尋ねれば、「えー? 分かんないよそんなの」と気のない返事をよこしてくる。誰もいないのに何度も呼ばれるというだけでも十分不気味ではあるが、彼にとっては恐れおののくほどのことではないらしい。肝が据わっているのか怖いもの知らずなのか、よく分からないところだ。  ならば何故「憑りついている」などと物騒な物言いがされているのかと言えば、彼のファンの間で広がっている噂のせいだと鳥越は言う。 「本人に対しては声をかけるだけのようなんですが、ファンに対しては実際に行動に出ているんです。ライブの帰りに誰かに背中を押されたとか、水無月のCDを買いに行ったら肩を叩かれて、振り返ったら誰もいないといった報告が相次いでいます」 「それは、全国で起きているんですか?」 「SNS上の口コミでは、関東圏内がほとんどのようです。もちろん、本当かどうかは分かりませんが」  ――水無月新には、幽霊の過激派ファンがいる。  真偽はともかく、そんな噂がネット上で拡散されているというのは、芸能事務所としてはやはり歓迎すべき事態ではないのだろう。今の時代、SNSの力は侮れない。本当だろうとそうでなかろうと、一度広がれば止めるのはほぼ不可能だ。 「水無月は今年、デビュー五周年なんですよ。全国ツアーを始め、様々なイベントが予定されています。まさか幽霊に足を引っ張られるとは思ってもいなかったわけでして……」 「……それで、急ぎの解決を望んでいると」 「今はまだ怪我人などは出ていませんが、万が一ライブ中にお客様に何かあれば、我々の責任問題になります。CDの売り上げにも影響する可能性がありますし、放っておくわけにはいかないんです」  とにかく一刻も早く、噂を止めたい。だがいくらSNSで火消しに回ったところで、実際に怪奇現象が起こっている以上、逆効果になりかねない。何か後ろ暗いことがあってもみ消そうとしている、と思われてしまったらますます水無月新のイメージが悪くなる。  となると、大元――女の幽霊を、何とかするしかない。それも、早急に。  鳥越の望みは理解できたが、だからと言って除霊師としては「では今すぐに」とはいかなかった。出現する場所が水無月の周囲だけでなく広範囲に及んでいるとなると、いつどこに現れるのか、まず見当をつけなければならないからだ。  幽霊には幽霊の行動原理がある。それを見つけ出すことが重要だ。そのためにはSNSに出回っている口コミを調べたり、水無月自身のことをもっと知らなければならない。でないと場所を絞り込めないし、中途半端に除霊を行うことで被害がひどくなる可能性も否定できない、とセツナは言ったのだった。  鳥越は苦い表情を浮かべた。 「……てっきり、水無月をお祓いしてもらえば済むと思っていました」 「今回の幽霊は彼にずっと憑りついているわけではありませんから、それでは不十分なんです」  セツナの言葉に、鳥越はようやく頷いた。 「仰ることはごもっともです。では、三日ほど待てば良いのですね?」 「ええ。調査はこちらで行います。除霊に当たっては水無月さんのお力を借りることになるかもしれませんので、ご了承ください」 「承知しました。では、契約書を」  セツナが書類を準備しようと立ち上がると、水無月がどこか楽しそうに声をかけてきた。 「ねえねえおねーさん、俺のこと知りたいんでしょ? 話そうか?」 「そうですね。事務手続きが済んだ後でお願いします」  身に覚えは今のところないようだが、彼が原因になっているのはおそらく間違いない。話を聞けば何か手掛かりが見つかるかもしれない――とは言え、本人がこの調子では、あまり当てにならなさそうだが。  営業用の笑顔を浮かべてセツナが答えると、水無月はサングラスを外してTシャツにひっかけた。目は少々眠たげに垂れているが、さすがは人気ミュージシャンらしく整った顔立ちをしている。年は確かセツナより一つ年下だったはずだが、明るい茶髪にピアスがよく似合っており、女性人気が高いのも頷ける。 「オッケー、何でも話すよ。えーと、おねーさん名前なんだっけ」 「柏木セツナです」 「マジ? かっこいい名前じゃん。じゃあさ、セッちゃんて呼んでいい?」 「え」  一瞬動きが止まってしまったのは、部屋の隅で成り行きを見守っているであろう、居候幽霊――エマのことを思い出したからだ。彼もまた、セツナのことを「セッちゃん」と呼ぶ。  見ていてもいいが余計な口出しはするなと散々言い含めてあったせいで、今日のエマは静かだった。だが、今の水無月の発言で、気配が不穏に膨れ上がったのが分かった。 「普通に柏木でいいです」 「えー、つれないなー。いいじゃん、セッちゃんて可愛いし」  軽薄な言動もまた、どこかエマに似ている。  背後で気配が不機嫌そうに揺れるのを感じて、セツナは眉間にしわを寄せた。眼前の水無月に、背後のエマ。一体どんな巡りあわせだ。いくらイケメンに分類される青年だろうと、これでは精神がすり減ってしまう。 「……私がお祓いしてほしいくらいだわ」 「ん? どうしたの、セッちゃん?」 「だから、その呼び方はやめてくださいって……」 「まあまあ、気にしないで。じゃ、まず、これが俺のファーストアルバムなんだけど」  些細な抵抗など意に介さず、すっかり呼び方が気に入ったらしい水無月は馴れ馴れしく話しかけてくる。改めて、セツナは大きなため息をついた。
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