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丑三つ時を少し過ぎた時刻。
セツナが通されたのは、五階の個室だった。
「昨日は、この部屋で鳴ったんですよ」
案内役をつとめる婦長が説明する。
事務局長から正式に依頼を受け、三日が経っていた。ナースコールは空いた病室からランダムに鳴るが、昨晩はこの「513号室」だったらしい。
部屋を見渡したセツナの視線は、正面にある窓の方向でぴたりと止まった。
「……やっぱり」
呟きは婦長には聞こえなかったようだ。
「本当に、何なのかしらねえ。病院って、こういうことが時々あるって聞くけれど……」
「こちらでは、今までそんなことはなかったんですね?」
「全くなかったとは言いませんけどね。噂はありましたよ、色々と。でも、これだけ皆が同じ目に遭うのは初めてだわ」
実際、深夜三時のナースコールは、ほとんど全員の看護師が聞いているらしい。もちろん、婦長もだ。中には気味悪がって夜勤を嫌がる看護師も出てきていると言う。
「……ガッツリ迷惑かけてんじゃないのよ」
「はい?」
「いえ、こちらの話です。それでは、始めさせて頂きますので……少し、人払いをお願いできますか」
「ええ、分かりました。では、よろしくお願いしますね」
深々と頭を下げて婦長が出ていくと、セツナは持ってきた鞄を開けた。道具を取り出し、てきぱきと準備を整えていく。
まず、部屋の四隅に御札を張る。外に音が漏れることがないようにという配慮だ。
もちろん、対象に逃げられないようにという意味もあるが、そちらの効果は相手によってまちまちである。あまり期待できないことも多い――特に、今回は。
麻で出来た羽織を、スーツの上から纏う。除霊師としての簡易装束だ。さらに麻紐で繋がれた鈴を手首にかけ、首からは小さな笛を下げる。最後に左手に巾着袋を持ったところで、準備は終わりだ。
時刻は、まもなく三時を回るところだった。
来る。
……否、もう、居る。
セツナは深く息を吸い込んだ。
「エマ」
腹の底から絞り出すような声に、空気が震えた。
「あんたの仕業でしょ。分かってんのよ」
目線は、正面に固定する。大きな窓を覆う、クリーム色のカーテン。
「隠れてないで出てきなさいよ。エマ」
鋭く呼び掛けて、腕を一度だけ振る。手首に巻かれた鈴が、シャランと清浄な音を立てた。
仁王立ちしたセツナの眼前で、カーテンがふわりと捲れ上がる。
「……あーあ、バレちゃったか」
久しぶり、セッちゃん。
へらりと笑った細身の男が、カーテンの陰からひょいと顔を覗かせる。
ピキッ、とセツナの額に青筋が立った。
「こンの……構ってちゃん幽霊!! いい加減成仏しなさいよ!!」
「あっはっは、怒るとシワ増えるよー、セッちゃん」
「うっさい!! 誰のせいだと思ってんのよ!!」
セツナの怒号を綺麗に受け流し、男はどこまでも笑顔だ。幸い、張り巡らせた御札のおかげで外には聞こえていないだろうが、本来の用途とはまったく異なる使われ方である。除霊師の端くれとしては、つくづく情けない限りだった。
エマ。本名も年齢も、一切不明。
外見は二十代の男性――の、幽霊。
セツナが何度も除霊を試み、ことごとく逃げられている、因縁の相手だった。
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