1、ナースコールは止められない

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「なんでココなのよ、今回は」  パイプ椅子に座って足を組んだセツナの前で、エマは空のベッドに腰かけている。  白いシャツに黒いパンツを身につけた男は、一見幽霊とは思えない快活な笑みを浮かべていた。が、足は裸足だし、よく見れば身体は微妙に透けている。普通の人にとっては、セツナが一人で喋っているようにしか見えないだろう。 「ん? ココって?」 「前は学校だったじゃない。病院になんか恨みでも……ないんでしょうけど、どうせ」  とある高校に幽霊が出没するという噂を聞きつけ、セツナが出向いたのは三ヶ月だ。その時は屋上で、こうして彼と対峙した。  結果的に高校からは追い出したものの、やはり成仏するには至らず、次は病院である。  一体エマは何がしたいのか、何度向き合ってもさっぱり分からないのだ。 「分かってんじゃん。いやー、それにしてもセッちゃん記憶力いいねえ。三ヶ月も前のことなんてもう忘れたよ、オレ」  からかっているのか、本気で忘れているのか。まるっきり判断が付かない。  そもそも「エマ」という名前すら、本人の自己申告でしかないのだ。生前の名前と関係があるのかないのか、死因は何なのか。何が彼をこの世に繋ぎ止めているのか、いくら調べても突き止めることはできなかった。  苦虫を百匹ほど噛み潰した気分で、セツナはお気楽な幽霊を睨み付ける。 「……あんたの気まぐれで、この病院は存続の危機なのよ」 「ありゃ、ホント? ちょっとやり過ぎたかなぁ」  看護師さんたちがさぁ、怖がっちゃって可愛いからつい。  てへぺろ、とでも擬音が付きそうな仕草に、セツナの苛々は増す一方である。 「かならず深夜の三時にナースコール鳴らしてたのは?」 「なんか時間決めた方がそれっぽいかなーって」 「……目、的、は?」 「そりゃ、寂しいから?」  分かっていることと言えば。  この幽霊が、度の過ぎた承認欲求の持ち主である、ということくらいだ。 「だから!! それが迷惑だって言ってるの!!」 「えー? でもさ、幽霊なんてそんなもんでしょ? 寂しいよほんと、誰とも喋れないし触れ合うこともできないんだから」 「それが嫌なら早く成仏しなさいって言ってるでしょうが!!」  確かに人を困らせる幽霊は多いが、彼らの行動原理はもっと明確だ。この男のように、ただ寂しくて構ってほしいというだけで何年も現世に留まっているのは相当稀である。 「でもさーセッちゃん、オレ別に悪いことしてないよ?」 「よくそんな図々しいこと言えるわね」 「だって、オレが入ってきたおかげで、この病院にいた他の幽霊出てったもん。むしろ感謝してもらっても良くない?」 「……。その幽霊たちの方が、あんたよりよっぽど大人しかったんじゃないかと思いますけど?」  そう、彼が成仏できない理由は他でもない。強すぎる霊力のせいだった。他の幽霊が気圧されて出ていくほどに。  セツナは音で除霊をするタイプの除霊師だ。主に使うのは鈴と笛だった。  一応は相手の未練を見つけ出して説得を試みるが、話が通じる幽霊ばかりではない。最終的には強制的に成仏させることになるのだが、大抵はこれで上手くいく。凄腕と言われる所以であるが、エマにはまったく効果がなかった。  だからと言ってそこで諦めてしまうのは、除霊師のプライドが許さない。お香にお経、十字架、はたまた水晶などと、セツナは他のあらゆる方法を試した。しかし、どれも暖簾に腕押し。エマはけろっと笑うだけで、ほとんど効いている気配がない。  最終的には塩を直接投げつけるというごり押しの技で、物理的にその場から追い出すのが精一杯なのだ。軽薄を絵に描いたような男のくせに、何故か幽霊としては「おそろしく強い」のである。 「もうやだ……この際誰でもいいからさっさと成仏させてもらってよ」 「いやー無理っしょ。セッちゃんより強い除霊師なんて、オレ知らないし」 「あんたに認められても嬉しくも何ともないわよ!!」  実際、セツナ以外の除霊師も何度も彼に挑んでいる。が、除霊どころか道具や御札を逆に壊されてしまう始末だ。結局、あのチート幽霊の相手が出来るのは柏木セツナくらいだ、というのが除霊師界隈の見解になってしまい、毎回セツナのもとに依頼が来るのだった。  エマはエマで、セツナの何が気に入ったのか「セッちゃん」などと馴れ馴れしい呼び名で絡んでくる。とにかく、彼に関わることはいちいち頭痛の種なのだ。  深いため息をつくセツナを見て、エマはどこまでも楽しそうに言った。 「ま、とりあえずココからは出て行くよ。セッちゃんの血管が切れそうだしね。……あ、でもセッちゃんと幽霊仲間ってのも悪くないかな」 「生憎、まだそちらにお邪魔する予定はないの。分かってるならこれ以上騒ぎを起こさないでよ」 「幽霊相手にそれ言う? セッちゃんてほんと真面目だよねえ。ほっとけばいいのに、オレのことなんか」  挑発するような言葉に、セツナは強い視線で応じた。 「そんな言い方で、私が諦めると思ったら大間違いよ」  彼らの未練は、解き放たれるべきなのだ。  いつまでも地上に留まり続けることは、何一つプラスにならない。たとえ彼らがそれを望んでも、強すぎる未練は負の連鎖を引き起こす。  エマの執念の理由は分からないが、これほど強力な思念を持つ幽霊を野放しにしておくことは除霊師として到底許されない。いずれ、大きな災いを呼び寄せることになりかねないのだから。  巾着袋から塩を取り出し、拳を握りしめたセツナにエマが笑った。どこか眩しそうに、目を細めて。 「さすがセッちゃん、そーこなくちゃ」  じゃ、またねー。  ひらひらと手を振った男は、煙のように立ち消えた。気配を探っても、もう何も感じられない。 「……またね、じゃないわよ。まったく」  次があってたまるものか。  握りしめた塩をぱらりと空気中に散らしたのは、せめてもの抵抗だった。  その日を境に、午前三時のナースコールはぴたりと止んだ。
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