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第一部 嘔吐/海も嫌いで、山も嫌いで、都会も嫌い
「あなたはドイツみたいに両極端ね」
いつかの女は言った。
「君はいつか、ドイツへと旅立つ」
ゴダールを教えてくれた友人は言った。
「ねえ、いつかドイツに行こうよ」
忘れられない女と約束した。
それから時は流れた。映画のよう、ユダヤ系物理学者の意図とは平行する相対性で。言葉の強奪で意味は剥奪された。ただただ空虚な映像が脳へと運び込まれた。街へ出るとはつまり、接触の恫喝という原罪を暗渠の岸で積み上げるに他ならない。ゆえにみな在庫処分に勤しむ。しかしそれすらも仕入れ作業と化している。ひたすらに未来へ備蓄。それこそ人生。アマゾン、グーグル、アップルと同じ。いや、ソクラテスの方が近い。売れない言葉の置き場に困った彼は、街角での無差別配布を繰り広げ、不法投棄の廉、多数決に基づき処刑された。古今東西、よく聞く話だ。部屋を換気するため、ゆりかごから墓場まで、一億総玉砕から一億総マイルドヤンキーまで、ウォルト・ディズニーからルイス・キャロルまで、紫式部から石牟礼道子、アイヒマンからマンデラ、それにセリーヌからミヒャエル・エンデまで、可分解量を超過したゴミを出しに、深夜過ぎ、近所の集積所巡りをする。一世帯三袋までと決まってはいる。だが、誰が気にするだろう? 下手をしなければ、放射性汚染物質だって簡単に捨てられる。
こんな風に。
意味がわからない? 僕もだ。申し訳ない、と思ってはいる。でも呪いの言葉を吐かずにはいられない。それとは判らぬよう脆い綿で乱雑に包む結果、曖昧な物言いになってしまうわけだ。
これは僕の物語である、恐らく。主人公の選出に関して、非常に遺憾ではあるが、如何ともできない。文句は監督かプロデューサーまでどうぞ。面倒だったら、手近にいるスタイリストとか黒子、脇役俳優で構わない。まあ、誰も乗り気じゃないないから、不満を言われようと、ぎこちない表情を浮かべ空っぽな謝罪を陳べるばかりだ。面白みのないこの冗漫な喜劇は、主人公自身にすら望まれていない。だが上演される。僕らには選びようがない。変えられるとすれば、舞台装置や劇場、プロットに台詞回しくらい。でも何をしようと、すでに死に瀕している。大方の人間は、行動規範が明確で現実を忘れさせてくれるような魅力ある主人公を待ち侘びているのだから、まさに陸に上がった鰯状態。終局のすし詰めだ。だがやはり、呼吸し続けてはいる。みなが、それにとりわけ僕が待望する時は、未だ訪れず。目下のところ、僕は恥を晒して駆け回っている。あの臆病な狂犬、フェルディナン・ピエロをお手本に。
『海も嫌い、山も嫌い、都会も嫌いな僕は、勝手にする』
開幕を告げる言葉は、これしかない。
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