第一部 嘔吐/グラウンド・ゼロ

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 N。  そうだ、ユズに訊いておきたいことがあったんだ。 「ねえ、ユズ。最近大学でNに会った?」  予期していなかった言葉に、ユズは当惑している。なにも言わない、無音の数秒がそれを物語っている。本当にデリカシーがないな、わたしは。苦い気持ちが胸に広がってゆく。ユズとNが別れて二年。それだけの月日が経っても、やっぱり昔の恋人は昔の恋人なのだろう。触れてはならなかった。わたしは恋愛について、特になにも気にはしない。開けっぴろげだ。でもだからといって、他人も気にしないと思い込むのは間違っている。馬鹿な勘違いと考えなしの言葉、わたしは楽しい空気を壊してしまった。 「ごめん、ユズ。変なこと聞いて」  わたしは続く言葉を必死に探す。 「あのね、実はね、Nが今度ドイツに来てくれるって言うんだ」  あたふたと取り繕うばかり。 「Nって大学行ってるのかな?」  ユズは咳払いをし、何度か唸り、やっと返事をする。 「もう一年以上も前かなあ、最後に見たの。あの人、もともとあんまり学校に来ない人だったけど、三年生になってから、消滅しちゃったみたいに、全くキャンパスに顔を出さなくなったんだよ。ムー大陸的な扱いだね。ドイツに来る予定ってことは、彼、まだ生きてたんだ」  妙に落ち着いた口調。 「だから、学校では会うのはムリ。バイト先とか、下宿の近くでなら会えるかもしれない。けど、行く義理はなし。それに、家、遠い」ユズは笑う。「でもどうした? Nには直接聞けないこと?」 「あ、気にしないで。話をしてても、あんまり大学の話をしてくれないから、ちょっと心配になっただけ」 「Nはマキちゃんから心配されるほどに不安定な人物である」とユズが呟く。  ふたりで笑い、ぎこちなさが氷解してゆく。 「そういえば、大学辞めたとも聞いた、Nね。単なる噂で真偽は定かじゃない。でもまあ、わたしたちの理解を超える人なのは事実だから、ありえなくはないよねえ。昔っからそうだった。多分、彼には何かしらのちゃんとした考えがあるんだろうけど、順序立てて話すのが苦手だから、彼、私たちには行き当たりばったりに見えちゃうんだよね。そうだ、N、一時期、司法試験目指して頑張ろうとしたことがあるんだよ」。ユズは笑う。
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