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一方、いつからか漠然と、漫然と竦然と厳然と公然と呆然と、単なる一観客として、暗くて狭い密室空間、虫の食い散らしたシミだらけのスクリーンに向かい、煙草の煙とアルコールの匂い、潰れた空き缶と乳繰り合う若い男女、そんな時代遅れの汚物にまみれながら、後方左隅の座席に体を埋め、靴を脱いで胡座をかいては、ハリボー片手にペプシコーラを飲んでいる、そう感じてもいる。小煩い映写機、映し出されるのは洋画、吹き替えでなく字幕、文字が多すぎる字幕、中途半端に言葉尻を追いかければ映像を失う、映像を追えば言葉を失う、耐え難い状況。何につけ最悪なのは、翻訳が超訳であることだ。
『もし日本が嫌いなら(日本海の名称は世界的に)』ああ、嫌いだ。
『もし日本が嫌いなら(世界遺産となった富士山は、訪問客の急増によ)』嫌いだ。
『もし日本が嫌いなら(東京は晴れて、二〇二〇年のオリンピック開)』嫌いだ。
『とっとと失せろ!』それがいい。
隣の男は下を向き、堪えきれない様子で無音、気色の悪い笑いを発作的に繰り返している。
その奥に座る女は消えている。便所でお色直しにでも興じているのだ、どうだっていい。
僕はペプシコーラを一息に飲み干し、席を後にする。
実のところ、ここには出口がない。
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