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以後は語るに及ばない。東京に来て組んだバンドは一年前に解散を迎え、路頭に迷うように、捌け口のない、意義を感じられない日々を一人やり過ごし、耳にされることはないと知りながらも曲を書き溜めた。バンドに熱中した三年間のツケが回り、今年の四月には留年の通知が大学から送られてきた。両親の元へも同じ書類が届き、仕送りが無期限の差し止めとなった。実家に帰って来いというメッセージなのは分かっていた。が、頑なに僕は拒んだ。夢にしがみ付いていたかったのだろう。ここで生活を営むために、ある程度のまとまった金を稼ぐ必要が生じた。週に二日だったバイトは、月二十五日とまで膨れ、大学は休学する、そんな帰結に至った。もうバンドをする余裕はなかった。まず第一に仲間がいない。それに時間も金もない。行き着いた先は職場と部屋の往復。袋小路だ、戻ることしかできなかったのだ。だが諦めはつかないままだった。そうこうしているうち、音楽から心が離れてしまっていた。自分の存在意義とまで思えたものは、捨て方の分からないゴミ同然になり果てた。かつては輝いていた夢。今は部屋の片隅、埃を被るばかり。僕はもう、ヘブライの民のように、モーセの到来を待つ名もない男なのだ。
代わりに、映画や文学を愛好するようになった。その深淵な物語世界に強く引き寄せられた。トリュフォー、ベルイマン、カウリスマキ、世界の黒澤、明・清、ジャン=リュック・ゴダール。休日、シネフィルの友人と連れ立って、都内の名画座へ足を運ぶのが唯一の気晴らしになった。カポーティ、サリンジャー、ケルアック、チャトウィン、そしてクノーやセリーヌ。最後の仕送りとともに母親が送りつけてきた数十冊の小説を、僕は飽きることなく読み続けている。通勤途中(映画館と職場を除けばに外出はしない)、エスカレーター上でさえも、逃げるようにページを繰っている。親は子に、何かしらの呪いをかける、ギリシャ悲劇が示すように。母親は僕を文学の世界へと誘い閉じ込めた。映画は父親の影響だ。彼は熱心なシネフィルだった。自室にはシアターがあった。主に古いハリウッドの映画を好んでいたが、その嗜好は今の僕へと受け継がれている。加えて、マルクス、エンゲルス、そして小林多喜二とジョージ・オーウェルの思想も植え付けられた。気づけば、僕はアナーキストに寄りの共産主義者である。どんなに抗おうと、親の思惑は功を奏す、結局のところ。僕はすっかり彼らのいる空間に戻っている。溺れている。似たように、社会との隔絶を望んでいる、真っ当な帰結。そして思い返せばずっと、ここではない場所にいたいと願っている。かつては東京へ行きたい、今では日本から出たい、と。
故に僕はドイツへの旅を開始する。まともな人間なら、きっとこう言って寄越す。
『どうしてドイツなの?』
正直なところ理由なんてない。ただ、拭えない過去のように、僕の人生にはドイツの影が付き纏っていた。ロックに目覚めるきっかけの曲がドイツを歌い、鉛筆を転がして決めた第二外国語がドイツ語(そういえば単位を取りきれていないままだ)、交際していた同僚の女は僕をドイツ的だと評し、相棒は奇妙な予言を口にする。そして、果たされることのない夢の中で、僕はいつだってドイツにいる。
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