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「メイコちゃん」
私の名前だ。
声の方を向けば、同い年の女の子がいる。町の子どもたち数人と一緒だ。全員、晴れやかな面持ち、殻を抜け出したみたいに軽い服装。半ズボンの子もいくらかいる。長らく押し入れにしまってあったせいか、防虫剤の匂いが鼻を付く。
「これからみんなでたまりに行くんだけど、メイコちゃんも一緒に来ない?」と女の子は私の元に近づいてくる。不安そうな面持ちで、誘いというよりは忠告みたいだ。一人だけ勝手な振る舞いをしてはいけない、そう暗に示しているのではないかと訝ってしまう。
うーんと、と私は言葉を濁し、本へと目を落とす。
「もうすぐエンディングにたどり着くから、読み終わったら追いかける」、言い訳を思いつく。
「まあ、いいんだよ、メイコは」と私が口を開く前に、年長の男の子が言う。「おれたちにない力を持ってる。だからおれたちみたいにする必要もない」
細い目には笑みの兆しはなくて、私の方を向いているけれど、焦点は合っていない。それに力を抜き払ったかのよう、口が少し開いたまま。彼は大人の背丈くらいの旗を手にしていて、表情はそのままに、ふと持ち手をくるりと回す。
嫌味を言われたのだろうか? それとも、私の思い過ごしなのだろうか? 私が判断に迷っていると、女の子は広がった波紋に戸惑っている様子、でも、と言っては私とリーダーを交互に見つめ、救いの手を求める。すると男の子が再び口を開く。
「みんな、キイコさんのこと、知ってるだろ?」と仲間全員を見回す。「メイコの家の女は、昔から、島のカミサとおれたちを結びつける巫女なんだ。大人になったら、当然メイコもそうなる。この町にとって特別な存在なんだ、メイコは」
言葉の余韻が消えるよりも早く、リーダーは踵を返す。子どもたちはざわめき立ち、近くの数人と二、三言交わしては、置いてかれないようにと慌てて駆けてゆく。小さな背中、と私は思う。女の子はぼんやりと私を見据えるままだったが、彼らの最後尾に間に合うように歩き出し、「また学校でね」と立ち去りざま手を振る。彼らが消えて行くのを見送りながら、私は少し気恥ずかしい気持ちを抱いている。柔らかな陽射しとなだらかな風を感じてもいる。足音は遠ざかって、いつしか木々のざわめきに紛れる。大きく息を吸い込み、私は本を開く。
彼らは島の自警団だ。お遊びではなく、公式に町から任を委ねられている。リーダー格の少年が担いでいたのは自警団の旗。青地には右を向く二等辺三角形が描かれ、白く塗られている。中には小さな円があって、そこから真上に一本の曲線が伸びる。島を型どった紋様だ。それは代々引き継がれてきた守り人の証で、子どもたちは放課後と休日、旗を掲げて島中を駆け回る、どこかで異変が生じてはいないか、細心の注意を払いながら。大人には各々、果たすべき責務がある。彼らは合間を埋めている。老いにつけ若きにつけ、この地には誰もに役割があるのだ。職務を十全に果たすことでのみ、平和は保たれる。刻み込まれた理念は固く、何世紀もの間、安穏な日々が続いてきたのはそのお陰と、老人たちは口々に言う。犯罪が起こったことはないそうだ。だから警察はいない。脅威となるのは自然災害だけ。何百年かに一度、島には大きな禍いがやって来る。そして、その察知にかけては子どもの方が優秀なのだ。ちょうど、ある種の動物が天災を予知できるように。子どもは自分の役目に誇りを感じている。実際のところは、森を探検し、川や湖で泳ぎ、たまりでごっこ遊びに興じるくらいのものなのだけれど。私も同じく島の子どもの一人。本当は彼らと一緒に行かなくてはならない。けれど、正直なところ、彼らと彼らが興じていることが好きじゃない。誇らしい気持ちも、楽しい気分も、何もない。読書だけ、読書だけなのだ、私が充足感を得られるのは。だから、逃げるように、おばあちゃんの手伝いをすると言い張っては、一人で気ままに過ごしている。子どもの義務なのだろうけど、おばあちゃんのお陰か、誰も直接は非難しない。でも多分、彼らの中には、私のことをよく思っていない子がいる。
突然、何かが暴力的に鼓膜を揺らす。サイレンが唸っている。町中のスピーカーが一斉に警報音を発したのだ。近くの音と遠くの音が混ざり合っては、時に奇妙に平坦に、時に異様なほど鋭く鳴り響く。驚きで私は体を震わせ、その反動で立ち上がっている。本が膝から滑り落ち、拾い上げる間もなく。地面に転がる。
「メイコ」とおばあちゃんが駆けて来て、水を掬うようにゆっくりと私の両手を握り締める。暖かい、と私は感じている。「学校へ行かんと」とおばあちゃんは微笑む。しかし目には真剣さと狼狽が隠れている。抜き差しならない、大きな禍いが訪れた。私はそう把握していて、無言で頷く。そして強く手を握り返して、広場を横切り駆けて行く。
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