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クリスマス前だからか、到着ロビーはいささか混み合っている。通路脇で再会を喜ぶドイツ人一家。子供二人分くらいのキャリーケースを幾つもカートに乗せて運ぶトルコ系の男の周りでは、チョコレートで口周りを汚した子供が騒ぎ立てる。アルマーニらしきスーツを着たビジネスマンはフランクフルト、ともするとロンドンからの出張だろうか。華やかなフライトアテンダント二人が通りすがる、「挙式なんだけど、マルセイユはどうかしら?」と楽しげなお喋りを置いて。私は空港が好きだ。様々な人が行き交うがらんどうな空間。様々な差異を持ち寄っていても、人は単純な仕組みの下で調和を保ち、移動を続ける。空港に来ると気分が落ち着く。それに不思議と胸が踊りもする。彼らのように私も旅をしたい、どこかへ。
「Nの飛行機、一時間前に着陸したみたい。待たせちゃったね」とマキは辺りを見回している。
「髪は私くらいの長さで黒、前髪を垂らしてるはず。痩せぎすでね、背は百七十くらいかな。顔は少しハンサム、真面目そうな雰囲気になまくらナイフの鋭さが隠れてる」
私はその描写に笑う。
「あんまり、特徴ない」マキも笑う。「馬鹿にしてるわけじゃないんだよ、ただ描写しづらいだけ」
「あ、そうだ」とマキが何かを思い出す。「きっと、ネイビーのダッフルコートを着てる」
「なにそれ?」と私は鼻で笑う。「コート一着しか持ってないの?」
「どうかなあ。でも、それしか着ないの。グローバーオールのダッフルコート」
「何かの哲学?」
「さあ? でも、コートのこと絶対に外套って呼ぶし、何かあるのかも。本人に聞いてみてよ」
マキは顔をしかめて探し続ける。私も僅かな情報を利用し捜索を行う。人種、信条、門地と、実に多種多様な人々がいる。思えば、そもそも日本人を探せばいいのだ。
すぐにNらしき人は見つかる。その男は壁に保たれて、物憂げな顔つき。左手に乗せた文庫本を見つめている。そしてはたして、ダッフルコートを着ている。私はマキの肩を叩き、彼を指差す。
「さすがメイコ、特技が探し物なだけあるね」自称した記憶はない。
「やあ」と、マキに声を掛けられてNは手を振りながら近寄り、「久方ぶりだね」と本を仕舞う。マキは久しぶりと口にし、私を紹介する。Nは軽く頭を下げる、とても気障に。確かに、マキが評するように彼には風変わりなところがある。
「メイコさん、ね」とNは私の目を見、右手を差し出す。シェイク・ハンド、やれやれ。
マキは私たちが握手をするのを満足そうに眺めているが、ふと驚きで荒げた声を出す。
「N、キャリーケース持ってこなかったの? 荷物それだけ?」
彼が手にしているのは黄土色のボストンバッグだけだ。
「ロストしたんだ」とNは小さな声で呟く。私たち二人は聞き直す。
「キャリーケース、ロストしたんだ。どうやら成田で手違いがあったらしい。この上なく僕は日本に嫌われている」Nは皮肉な笑みを浮かべる。
「手続きは?」と私。
「済みだよ。届き次第、滞在先まで送ってくれるって。まあだから、マキ」とNはマキを見つめる。私はそこに淡い恋心を確かに認める。「君の連絡先を書かせてもらったよ」
マキは一瞬、笑い顔を崩すが、すぐに取り戻して頷く。
「うちに帰ろう」
奇妙な響きを持つマキの台詞で、私たち三人は歩き始める。
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