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結局、会話を通じて判明したのは、カフカを知っていることくらいだ。ある意味で、カフカと同じように、彼も理解可能性を削いでいる。しかし、カフカはそれを意図的に行う、自分自身を把握した上で。Nは違う。彼は自身を定められていないからこそ個性は不明確で、曖昧な回答に逃げているからこそ個性がないままなのだ。なぜか私は『失われた時を求めて』と『気狂いピエロ』を思い出す。多分、彼がいさかか、フランス的だからだろう。なぜドイツに来た?
ぎこちない問答の間、マキは笑顔を浮かべ相槌をうつばかりで、Nが沈黙に逃げ込んだ後は、私とマキが、二人でしか共有できない話題に関して話をした。別に、Nを仲間外れにする意図も何もなかったが、彼は話の中心になるのを好まないようだから、問題ないだろう。大学の授業や同級生、それに友人のドイツ人たち、あとドイツ文学のことについて、普段二人だけでいるのと何も変わらない調子で、私たちはお喋りに興じる。予想通り、Nは特に口を挟むことなく、私たちの話に耳を澄ませていた。真っ暗な窓と私たちを交互に見つめながら。無口である。Nに関する二つ目の情報。だが、後者はきっと状況に応じて変化する。予感がある、彼は何らかの心を許せる話題、あるいは状況を待ち兼ねているのだ。マキと二人になった途端、堰を切ったように話し始めるのも、有り得なくはない。彼は、他人を警戒する動物的本能と、アンバランスな知的能力を抱え込んだ、文字通り『気狂いピエロ』なのだから。ともすると、『失われた時を求めて』もいる。
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