終点 とてつもないドイツ

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 三十年と五ヶ月。島に来てから過ぎ去った年月だ。初めはみな訝っていた。魔物の住処のように、踏み込もうとしなかった。だが今では、自分の家と言ってくれる。足繁く通ってくれる。洗礼を終え、社人の一員に数えられたかのように。時が全てを解決したからだろうか? いや、そうではない。時間は何をも変化させない。ただ、決められた動きを繰り返すだけだ。すべてを在るべき場所で安定させ、為すべきを為すのは人だ。この島の住人はみな、弁えた生を、意識せずとも十全に体現している。想像上でしか存在しない理念なのだ、この場所は。中に含まれていれば心は安らぎ、一切を忘れることができる。なぜ私はこの地に辿り着くことができたのだろう?  大きな振り子の針音のない置き時計が鳴り響く。その脇へと私は足を運ぶ。天井まで壁を埋める何千ものレコード。その中から、いつものように目を瞑るままに、無作為に一枚を引き出す。私が目にするのは、何十もの黒い鳥が羽ばたく、灰色の空。初めて見るジャケットだ。しかし、美しい。清澄な風景。プレイヤーはカウンターの上、私は同じ動作を繰り返し、レコードをターンテーブルに置き、針を落とす。回るレコードの映し出す輝きは、幾らかウィスキーが注がれたグラス似ている。初めは黄金の月のよう。次第氷の溶ける音は胸の奥底を揺らす。口にすれば芳醇な味わいと心地よいカオスが身体を包み、温める。レコード表面に書かれた文字が認識出来なくなると、私は天井の梁から吊るされたハンモックに寝そべる。窓の外を見やると暗闇がある。窓は鏡だ。私は瞼を閉じる私を見つめている。
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