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二〇一四年 二月二十八日
Nへ
これから続く物語は、一人の女の子が教えてくれた。 彼女はもうこの世界にはいない。
「なにも言わないで」
そう言って、彼女はぼくのもとから去った。
その時、ぼくは長らく黙っていた。口にすべき言葉が見つからなかった。
でも、やっと今、きみに伝えることができる。
ぼくはドイツにいた。その年の暮れの十二月、そして次の三月にかけて。
とくに目的はなかった。さしたる予定も。
人を納得させるだけの理由が見当たらない。もちろん、今振り返っても。
人生は、小説でも映画でも音楽でもないからなのだろう。出会いも別れも、愛する人の死すらも、本当は何ら意味を持っていない。
世界はきっと、なに一つ、ぼくらの意図とは無関係だ。
美しい旋律の一つに足るほどの価値など、どの時点においても、ぼくは手にしたことがない。
けれど語りたい。
何十年後かに自伝を出すことが仮にあれば、この旅は一つの大きなエピソードとして扱われるかもしれない。が、繰り返すが、やはり、ぼくは語るに足る興味深い話を持っていない。当然、人の役に立つ教訓もない。
瑣末な出来事の雑多な寄せ集め。素人のコラージュ画にも劣る存在だ、ぼくの過去は。
でも何の因果か、とめどない言葉が溢れている。
見出される過去は、おしなべて無価値だと思い知ったからだろう。
すべてが重要だと見なせば、あらゆるものが等しく価値をもつ。瑣末だと見くびればゆえに。
そう考えてくれてもいい。
でも、ここは職場でも居酒屋でもない。
どうでもいいからこそ語る、そういう類の物言いは、今は合切呑まれてしまうべきだ。
便所とか、暗渠とか、そういう愚鈍の巣食うところに。
遍く逆説は下水管へ向かっている。
キケロは怒るかもしれない。だが、彼はもう死んでいる。ノズルを回そう、無慈悲に。
常識に、ぼくらの真っ当な言説に、つまり排泄物に、別れを告げよう。
地に足をつけるために。
ぼくらはいつからか、地球の周りを彷徨う、決して着陸し得ない物体へと貶められている。
気づいてないかもしれない。けれど、本当だよ。重力が残酷であるように、真実もまた虚しい。
考えてもみてくれ。微かでもいい。ぼくらが抱いてしまった欲望を。情熱を。つまり無垢で罪深い夢のすべてを。
ぼくらは、それを満たすためだけの容れ物に成り下がっている。
だから、道という道には壁がそびえ立った。
人はみな、狭くて薄暗い部屋に逃げ込んだ。
あらゆる物語がたち消えた。
だから語るのかもしれない。よくわからない。
ぼくは説明が下手だ。理由をうまく伝えられない。きっと、情欲が感情へ伝う回路を焼き切ってしまったからだ。損なわれた心に、一体、他者のなにがわかろう?
きみもそうなのかもしれない。でもそれもわからない。ぼくには耳を澄ませるための心がない。
だから、これはわがままなんだ。
ぼくはきみに語る。きみは話を聞く。ぼくだけが得をしている。
フェアにいこう。
きみも言葉を放てばいい。いや、ちがうな。実のところ、ぼくはそれを望んでいる。
ぼくは閉じ込められている。
でも、きみと言葉を交わせば、あるいはわかりあうことができる。
きみが与えてくれるなら、きっとぼくはきっと救われる。
互いを理解できるという夢を、また信じてもいいと思える。
話が逸れたね。今、語る役目はぼくにある。
物語の舞台はドイツだ。
とてつもないドイツ。彼は美しい。
ぼくは酔いしれた。その雄弁さに完膚なきまでに沈黙した。豊かさに身を委ね、身体を捧げた。彼は優秀なホストであり、支配者だった。ちょうどジェイ・ギャツビーのよう(つまりぼくはニック・キャラウェイだ)、与えるものという役割を忠実に受け入れては、時を降り注ぎ、ぼくという人間から名前を奪ってくれた。彼と別れ、名もなきぼくは今、その思い出を書き連ねる。つらつらと、はつらつに、かかづらうように肉体を飛び出す言葉で。
きっと、ここもまたサナトリウムなのだ(突飛な比喩だね、許しておくれよ)。
四ヶ月、ぼくは予定の日程を三ヶ月越えてそこに滞在し、毎日当てもなく街を歩いた。
何かを得た気になって、一切を記憶していたいと青い空に祈った。
中世のままの街並みでぼくの目は澄み渡った。
古びた教会には冷ややかで真摯な空気が流れていて、
その温もりにぼくの心のほとんどが溶けていった。
街を満たす賑やかな人々に囲まれていると、忘れていた感情が蘇ることがあった。
あてのない記憶の海へ、ぼくは死んでいった。
時の枠組みから外れてしまえば、存在は輪郭をなくし、ばらばらになる。
噴き出した血は石畳に撒かれては地中の深くに染み入り、
飛び散った肉は小さな鳥たちに屠られては涯の無い空へと霧消し、
ぼくの肉体はあるべき旅路を辿った。
黒い地面と白い海を巡り、
何度となくぼくは生まれ、ぼくとなり、
再び死を迎え、ぼくではないものへと還っていった。
心臓に授けられた新たな拍動は、刻むたびに生きる価値を目減りさせていった。
そう、生は死ではないが、限りなく死と同義であり、無こそが生だ。
それ以上へも、それ以下へも移行しえない地点、ぼくはそこにいた。
全くに単純に、かけらも訳もなく、とりもなおさず、意味のない移動を続けている。
それこそがあらゆる時の、あらゆる場所のぼくだった。
ぼくはそこにいた。でも、どこにもいなかった。
空間でも、時間でもない移動。
これは何かを暗示している。上質なファンタジーがそうであるよう、目を凝らし耳を澄ませば、だれかがひょっこり、角から顔を出す。
彼女は天使のような白い衣を纏っている。彼は悪魔のような笑みを口元に浮かべている。
そして、ハーモニーが沈黙を揺らす。「人は、魂を巡るために旅をしている」
二月も終わりにさしかかったある日、雪が降った。
その日、ぼくは煙草をやめた。
目が覚めた途端、そうするのが至極当然のことに思えた。
やはり、なぜもなく。
そうしてぼくは戻るべき場所に戻った。
けれど打ち明けてしまえば、今もよくわからない。
そもそも戻るべき地などあったのか。
ぼくは本当に、戻れたのか。
ぼくはなにを失ったのか。
古い唄が昔教えてくれたとおりにいえば、答えは風の中だ。
友よ、答えは風の中にある。
風の唄に耳を澄ませてごらん。
ぼくは今、なぜだか宇宙をイメージしている。
きみもそこにいる。ぼくらはひとりぼっちだ。
ここのところ、言葉にするべきでないことを口にしてしまったのではないかという、漠然とした不安に苛まれる。それはいつも、風が吹き付ける昼間。冷たくも暖かくもない風のごうごうという唸りを耳にすると、部屋の中にいたはずのぼくは、気づけば空に浮かび上がっている。呆気にとられていると大気圏を越えている。薄い空気を吸い込もうと必死に肺を膨らませている。と、宇宙に放り出されている。
そこには空気も重力もない。だから人が暮らすことはできない。でもきっと理由は他にあるんだ。空気と重力がなければ、想いや記憶、ひとという存在を形取っている元素の一切が、水のように零れ落ちてしまう。時の流れが無慈悲にも美しい湖を涸らしてしまうように、水を掬うみたいに自らを取り巻く細胞をかき集めるぼくを、虚無と無重力は残酷なまでに虐め抜く。なにかを掴んだと期待して、ぼくはおそるおそるこぶしを開く。でも、あるのは見慣れた手のひらで、心なしか幾分ふやけている。滴のように流れ落ちる粒子の名残が、涙に似て湿り気を帯びている。だが、それもすぐに風化してゆく。忘れられない彼女の泣き顔が、記憶から剥がれてゆく。一枚、また一枚と、スレート屋根のように、いつしか根こそぎ裸にされ、朽ちてゆく。
友情も悲しみも過去も必然もない宇宙の中で、ぼくが望むのは一つだ。
きみのそばにいたい。
現実に帰ろう(再確認しておこう、これは現実だ)。
この世界で生きるために、ぼくは低い土地に降り立つことを選んだ。
多くの国家は、低地を領土とすることで、繁栄し、権勢を誇った。
低地は容易に水を得ることができる。
反対に山岳部族は水資源が枯渇し、被支配者となった。
運命の翻弄。必然的な帰結。
人はなぜだか集団を形成する。そして、村へ都市へ、都市へ国家へ、活動領域を拡げる。
かつての穴居人は、今や宇宙へ足を踏み入れようとしている。
これは進歩だ。これは洗練だ。文明こそが人の本質だ。みなはそう言い、全宇宙に欲望を散らす。
でも、ぼくにはどうだっていいことだ。
目下、多様な人間が存在する。多様な表現が存在する。
理性の限界を超えた場所へ、人は、街は、どこまでも輻輳を続ける。その末端から、ぼくはだが否応なしにこの世界に含まれながらも、宇宙を、海を、夢を、想像する。みなに置き去りにされながら、みなを置き去りにしているつもりになって、言葉を編んでいる。
ぼくには中心がない。
ドーナツを思い浮かべてくれればいい。それがぼくだ。
始点も終点も定められない。意識も本質も見出せない。
あるのは輪郭と空白だけ。
それがぼくだ。
きっと、ぼくの中心は、あの時、彼女とともにどこかへ飛び去った。
「あなたはここに留まるのよ」
それはある意味では、大いなる幻想だった。つつましい呪いだった。
そしてぼくは、立つべき地点を失った。
いつかの水曜日、すべての選択が誤りだったのではないかという朝が訪れる。暗い雲が世界を覆い、強い風が行く手を遮るような水曜日だ。ぼくは想像の世界で、深海や山の頂を目指し、海に潜り、崖を這い上がっている。けれど、全くに歯が立たない。ぼくは弱い。
「これは生存戦略から外れた、ただただ無用な試みだ」
そう思い知っては、現実が訪れる。大きな津波のように、夢の世界を蹂躙してゆく。
ぼくはここで孤独を感じている。そして、孤独は優しい。世界で二番目に。
だからここを離れられない。
きみはどこかへ行くだろう。
あるいはどこへも行かないのだろう。
ぼくは、ここではないどこかを夢見ている。胸が裂けるほどに強く望んでいる。
が結局は、留まっている。
こんなぼくはどうしたらいい?
答えはどこにもないのかい、友よ?
答えはどこにもないのかい、友よ。
きっと、ぼくは本当には答えを求めていない。なぜなら、ぼくが語ることそれ自体に何ら意味がないように、ぼくがきみに問いかける言葉も、なに一つとして返事を可能とするような意味を有していない。つまり、ぼくは吐き出したいだけなのだ。ただ、ぼくは悲しみと希望に、もう一度出会いたいだけなんだ。きっと。
纏わり付いた言葉は、悲劇を覆い隠す瓦礫に似ている。無意味ではあっても、死と生を強く感じさせてくれる。もちろん、予感させるに過ぎないけれど。
勘違いしないでほしい。ぼくは同情を求めているわけじゃない。たぶん、自分に対して誠実であろうとしているんだ。これはぼくの無用なる生存戦略なんだ。
人に対して本当に誠実であろうと望む末、自分に嘘を付かないのが最良だという結論を出した。
ああ、でも、きみが今思っている通り、ぼくも気づいてはいるよ。
ぼくという人間は、大いなるねじれの位置にていて、浅ましいくらいに狂信的なんだって。
頑なさんと呼ばれることもある。
が、事実がどうであれ、名前がなんであれ、ぼくはぼくでありたい。
これは夢だね。
知っているよ。
大切なのは真実を知ろうとする覚悟なんだ。
誰かを愛することなんだ。
現実であれ、フィクションであれ、きっと同じように、ぼくの中心は空洞だ。
穴は、真実を覆っては、愛を奪う。
けれど、口にできなかった想いは残り続ける。
それはうず高く積み重なり、壁となる。
ぼくは壁に囲まれている。
だからさ。
今じゃもう、どこにも行けない。
魂は二十数グラムほど。
そして、言葉は無論、ずっと軽い。
きみはぼくの言葉を忘れてしまう。
それもいい、きみはぼくよりうまくやっていける。
ぼくの手の届かないほど遠くへ行ける。
今よりも世界を素敵にできる。
言ってしまえば、ぼくはきみが好きなんだ、友よ。
ぼくはきみが好きだ。きみ、忘れないでいてくれよ。
天気がいい。冬の寒空だがまあ、ちょっぴり散歩でもしてこようかな。そして帰ったら、とびっきりのコーヒーを淹れるんだ。うんと上等なやつをね。誰かがやって来る気がしている。もちろん、なんとなくだけれど。それがきみだったら、ぼくはとても嬉しい。けれど、そうじゃなくったって、もちろん喜ばしいのには変わりがないよ。やっぱり、けれども、一番会いたいのはきみだ。
この手紙があるいは届かないにせよ、返事がないにせよ、ぼくはきみの無事を祈っている。今と、これまでと、そしてこれからの幸せをね。
また、いつか会おう。どこかで。
良い旅を。
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